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Posted by TI-DA at

2016年04月23日

プリンスと生きた時代

 今年二度目の衝撃の訃報。プリンスが死んだ。朝のNHKニュースで知った。しばらく呆然とニュースを眺めた。全く実感がわかなかった。二日たったが、いまだに実感がわかない。
 プリンスを初めて聴いたのは、1982年にリリースされたアルバム"1999"からのシングルLittle red corvetteだった。ファンク・バラッドであり、ロック心をくすぐるギターあり、耳に残るリフあり。引き込まれるようにアルバムを聴いた。ロックでも、ブラック・ミュージックでもない新しい音楽体験。まわりの友人に話しても、気持ち悪いと言われるだけだったが、当時貸レコード屋でそれ以前のレコードも借りた。


Litlle Red Corvette

 それ以後、88年のLovesexyまでほぼ1年に1枚のペースで信じられぬほどのクオリティのアルバムをリリースする。いわゆる天才時代だ。なかでもPurple Rainの大ヒットのあと、翌年にリリースされにたAround the world in a dayのリリースが最も衝撃的だった。1度聴いても、まったく理解できない。心地よさはない。それでもすぐにまた聴きたくなる。そして、何度も繰り返す聴く。これはロックなのか、サイケなのか、ファンクなのか。自分の奥底に隠された密室のなかで、ひとには言えない密かな喜びをかみしめる。それはまったく新しい音楽体験だった。

過去記事 プリンスの天才時代

 天才時代のあと、批評家にはあれこれ言われながらも、そこそこヒットするアルバムをコンスタントにリリースし(いまはすべて購入している)、昨年にもHITnRUN Phase One&Twnoの2枚のアルバムをリリースしている。最近のアルバムは正直なところ、天才時代のような刺激はない。30年前にKissをリリースした衝撃はいまはない。それでも、新しいアルバムを出せば必ず聴いていたし、そのたびに寂しい気持ち、懐かしい気持ちをかきたてられた。
 一番さびしいのは、もうライブが見られないことだ。
 Paredeアルバムをリリースしたあと、86年9月に初来日したときの大阪城ホールのライブは、おそらくはこれまで私が体験した至高のライブ体験だった。1曲めのAround the world in a dayの中近東風イントロが満員の会場に流れるだけで、いまでもはっきり覚えているが、全身鳥肌、卒倒しそうなほどの感動があった。



 5年ほどまえにラスベガスでそっくりさんのショーを見た。purple rainで手をフリなが、国籍や民族は違えども、同じ時代に生きた「同時代感」を強く感じた。アルバムごとに、ささやかな私の人生の一コマ、一コマが蘇る。おそらく、かつての私に関わったひとのなかには、プリンスの訃報をきいて私のことを思い出した人もいるだろう。私は確かにこの時代を生きた。おそらくは私と同様に、極私的で至高の音楽体験をした世界中の同士たちも、こんな「同時代感」を感じながら、早すぎる死を嘆いているのだろう。
 まだ信じられないが、二日間プリンスばかり聴き続けている。私は、多感だった十代の頃から人生折り返しを過ぎた今このときまで、プリンスとともに生きた。なにか特別なことをしたわけではないが、それでもこの時代を誇りに思う。

 If u set your mind free,baby,maybe u'd understand.(Starfish & Coffee)
The sun will shine upon u oneday if u're always walking on your way(walk don't walk)
It's plain to see.You're the reason that God made a girl(The most beautiful girl in the world)

プリンス関連のほかの投稿
レニー、殿下とU2(2014.10.05)
Purple Reign(2010.11.20)  
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Posted by 仲村オルタ at 23:19

2016年01月19日

ポトゥア東野健一 ラストイベント

このサイトは更新を停止しています。
新サイトでの同記事はこちらまで。

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インド式巻物紙芝居師の東野健一さんから、こんな案内状が届いた。
「ポトゥアの東野です。
昨年12月 胃がんの手術のため入院をした時には ほんとうにお世話になりました
私も元気に退院できることと思っていましたが 結果としては残りの時間は6ヶ月と言う診断になりそれはそれですっきりしたのですが みなさまには完全復帰を願っていただいたのですが!!
人生最速のコースになってしまいました。
今回の「宇頂天果無ポトゥアの宴」は東野の企画する最後のイベントになると思います
ポトゥア東野を支えていただいたみなさまと「ワァー」とにぎやかな宴を開きたく計画しました 何とぞ遅い合わせのうえお越しください

面白きこの世をもっと面白く 住みなすものは心なりけり 高杉晋作のパクリ」



 あまりにもショッキングな案内状だった。案内状をみつめ、いろいろなことを考えた。東野さんの大きな声、がんで逝ってしまった友人Pのこと、つい先日がんで逝ってしまったデヴィッド・ボウイのこと。案内状をもらった時点で一週間もなかったが、迷わず行くことを決めた。イベントは、かつて阪神大震災のあった1月17日に行われた。
 プライベートな話で恐縮だが、東野さんは私たち家族にとって、特に私の息子にとって特別な存在だ。2014年秋に神戸で行われた冬虫夏草をテーマとした展覧会とワークショップで、息子は自分で作った冬虫夏草の造形を東野さんから褒められ、家に戻っても、紙粘土と針金と絵の具を駆使してまた別の冬虫夏草を作ることに熱中した。これまでそんな創作に自ら意欲的に取り組むことがなかったのだが、よほど楽しかったし、よほど嬉しかったのだろう。また翌週に神戸まで出掛け、東野さんにそれを見てもらって、また褒められた。紙芝居のあと、自分の元に呼び寄せ、「この子はすごい」とまた自信を持たせてくれた。
 客観的に考えて、本当に凄いかどうかはわからないが、そんなふうに自信を持たせるような言葉と体験を子供にくれた東野さんに深く感謝し、このご縁を大切にしようと思った。案内状からすると、励ましなどいらんやろなと思いながら、少しでも元気づけたいとも思った。
 だから、もしこの機会をやり過ごしてしまったなら、一生後悔するだろうと思い、僕は家族全員で神戸に行くことにした。土曜日には小学校のモルモットのお世話の当番があり、翌日月曜には私がカタギ仕事の出張で台湾に行かなければならないので、慌ただしく日帰りで神戸に行くことになった。
〈宇頂天果無ポトゥアの宴〉……そう題されたイベントは、一昨年個展とワークショップが行われた海外移住と文化の交流センターのホールで行われた。二百人くらいのキャパシティーの会場には、東野さんの最後の紙芝居をみようと、老若男女ゆうに四~五百人を越える人々が集まった。
 少し痩せたかもしれないが、張りのある元気な声で、圧倒的な熱を発する東野さんの紙芝居は何も変わらなかった。演目はどれも笑いあり、不条理な恐怖あり、自然に対する畏怖と尊敬あり。頭山、狼の魂などいつもの演目を、友人たちのパフォーマンスを合間にはさみながら、パワフルにこなしていく。とても余命六ヶ月の人とは思えない。会場は東野さんの迫力ある声に負けないくらいの大きな笑い声と声援に包まれた。



「僕は今日、マイクいれずに、全部通してやろうとしている。この力がある以上オレは死なないと思っている」
「寿命は医者がデータで決める。それはデータでしかない。そんなデータで決められたスパンを破っていくのが生きる力。それはずっと言い続けたい」
「これで最後やいいながら、このあとまた2月にやったり、3月にやったりするかもしれません。医者に6ヶ月って決められたけど、自分が生きるってことを前向きに考えている以上がんばっていられる」

 ライブの途中で、この12月の経緯を東野さんは教えてくれた。切除のためには抗癌剤治療が必要だったので、それを止めたという。その選択が正しいかどうかは、結果でしかわからないが、その元気な姿を見ていると、迷いなく正しいと思える。半年や言いながら、五年、十年生きられそうな気がする。本人もそう思っているだろう。



 ライブの終盤に、私たち家族にとってサプライズが訪れる。息子をステージに呼び、頭を撫でながら、会場に集まった皆さんを前にこう話してくれた。
「個展のとき、彼はいろんなものを作ってくれました。彼が作ってくれたものはすごく良かったんです。
 将来、文章かもわからんし、音楽かもわからんし、もしかしたら造形かもわからんし、何をするかわからんけど、この会場に集まった子どもたちも、みんな何かを作ってくれる、何かを世の中にプレゼントしてくれると思います。希望もってるで」
 そう言いながら、東野さんは息子の両手を高く掲げた。まるで自分自身の希望を息子ら子供たちに託すように。会場は拍手に包まれた。なんてことだ。励ましに訪れたつもりが、また励まされてる。目頭が熱くなった。
 そんなふうに、この素敵なイベントは終わった。

「最後のライブや言うたけど、またやってしまいました」
 あの張りのある声で元気に叫んでほしい。たぶん、そうなると思う。
 最後に。東野さんとのご縁をくれたすべてのご縁に感謝します。ありがとう。


「狼の魂」  
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Posted by 仲村オルタ at 10:43

2016年01月12日

デヴィッド・ボウイという宿命

 連休最終日の午後、デヴィッド・ボウイの訃報が飛び込んできた。ニューアルバムを出したばかりなのに。寂しいばかりだ。
 80年代のロックミュージックの申し子である僕は、いわゆる〈絶頂期〉のリアルタイムのファンではない。初めて聴いたのは「レッツ・ダンス」だ。その後、70年代を聴いた。chagebowiesを何度も何度も聴いた。ジギー・スターダストを聴き、スターマンを聴き、ベルリン三部作を聴いた。全キャリアを通して最も好きなナンバーともいえるashes to ashesは、あまりにも格好よすぎて、自作の小説にも引用した。



 20世紀で最も影響力のあるアーティストに選ばれたというデヴィッド・ボウイの50年近いキャリアにおいて、80年代以降の大半は、常に創造的で前衛でありつづけなければならない宿命を背負ったものだ。ソウルフルなダンスアルバムを出せば、ボウイがダンス・ミュージックかと言われ、憂いに満ちたアルバムを出せば、70年代の焼き直しと言われる。もっと自由に音楽をやりたかったに違いない。ときどき、ボウイという名を捨て新人バンドを名乗りロック衝動に身を任す。
 確かに70年代ほど時代を先行した存在ではなかったかもしれない。しかし、しかし、そのキャリアを振り返ってみれば、50年を通してデヴィッド・ボウイというジャンルを創造した革新的なロック・アーティストだった。その声、ビート、スタイルはクリエイターの想像力をかきたてる。
 そう、多くのオルタナティブな映像作家が、80年代以降のボウイを使った。
 レオス・カラックスは「汚れた血」で「モダンラブ」を使った。デヴィッド・リンチはロスト・ハイウェイのキィになる音楽として、I'm derangedを使った。 デヴィッド・フィンチャーは出世作「セブン」で、The Heart's filthy lessonを使った。クエンティン・タランティーノは、「イングロリアス・バスターズ」にて、なんと他の映画の主題歌であるcat people(putting out fire)を使うという"禁じ手"を用いた(kill billの仁義なき戦いに次ぎ二度目ではあるが)。伝えたいことを伝えるために、撮った映像に必要な音楽としていずれもこれしかない手段として、いずれも印象的な場面で使われている。映像作家にとっても、イメージ膨らむ声とビートは魅力的だったということだ。


「汚れた血」


「ロスト・ハイウェイ」


「イングロリアス・バスターズ」

 享年69歳。早すぎる死である。デヴィッド・ボウイという宿命から解放され、天国ではやりたいように音楽を創ってほしい。あなたはそのままでパーフェクトに格好いいのだと伝えたい。  
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Posted by 仲村オルタ at 12:36

2015年12月30日

2015年極私的映画ベスト10

 今年もベスト10を選ぶ季節がやってきた(対象作品 日本公開年月日が2014.12.1~2015.11.30までのもの)。DVD、映画館あわせ、昨年よりは少ない30本強を鑑賞。今年の後悔は、1位、2位に選んだ映画を映画館でみることが出来なかったことだ。あいかわらず興行的に絶好調な日本映画では、「バケモノの子」「屍者の王国」「ハーモニー」のアニメーション3作を見た。「バケモノ」はよかったが、「おおかみこども」を超えられず、ランクインできず。「屍者」「ハーモニー」2作は、伊藤計劃原作の二本だが、少女マンガ的作画ではなく、もっとハードボイルドな絵と世界を作ってほしかったと思う。

○特別枠 デュランデュラン アンステージド 監督:デヴィッド・リンチ

 2011年に行われたデュラン・デュランのライブを、デヴィッド・リンチ監督した少し風変わりなライブフィルムが、今年になって公開された。80年代にニュー・ロマンティックの雄も、すっかりおじさんバンドではあるが、どこか物悲しい音は健在だ。リンチは、光と偶像的なモチーフをつかって、自身がデュラン・デュランに描くイメージを投影する。デュラン・デュランの熱狂的なファンにはあまり響かなかったようだが、適度なファンであり、またリンチ・フリークの私にはとても新鮮に映った。ほかとは一線を画する印象的なライブフィルムだった。

○特別枠 マップ・トゥ・ザ・スターズ 監督:デヴィッド・クローネンバーグ
 もうひとりのデヴィッドである、クローネンバーグの新作。批評家的には悪くないのだが、極私的にはクローネンバーグの粘着性とオフビートさが不発であまりヒットせず。ランクインできなかったので、リンチと仲良くならんで特別枠とした。前作「コズモポリス」は傑作。極私的に、クローネンバーグ最高傑作は「イグジステンズ」だ。



第10位 ターミネーター:新起動/ジェニシス ★★★ 監督:アラン・テイラー

 シュワルツェネッガーが復活し、シリーズ5本目で実質第一作のリブートとなるこの映画は、興行的にも、批評家的にもあまり芳しくはないのだが、極私的には、シリーズを通して見ている観客を裏切る「ある設定」に清々しさを感じてランクインとなった。シュワルツェネッガーが悪役、良い役双方のアイデアはすでに実現しているので、シュワルツェネッガー復活を前提に5作目を新しく作る立場としては、あの重要なキャラクターを犠牲にせざるをえなかったのだろう。それが気に入るか、気に入らないかでこの映画の評価は決まる。B級感は拭えないが、面白く見た。

第9位 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) ★★★+ 監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ

 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の新作でありアカデミー賞作品賞、監督賞を受賞した本作は、期待したほどのパフォーマンスではなかったというのが正直なところ。全編を通して切ない話だが、ワンカット・ショットやドラムスだけの斬新なBGMなど、監督の個性が前面に出過ぎて、肝心な主題にはいりこんでいけなかったのが原因ではないかと思う。もう一度DVDで落ち着いてみたら、評価が変わるのかもしれない。

第8位 キングスマン ★★★+ 監督:マシュー・ヴォーン

 キック・アスやガイ・リッチー作品のプロデユースで知られるマシュー・ヴォーン監督の新作。ポスターなどから、コリン・ファースが主役と思いきや、スカウトされた若いスパイが主役だと後半で気づいた。過剰な残酷シーンはお約束で、不道徳とは思えないが、嫌いな人はおそらくそれが嫌いなのだろう。ほかにもイギリス的なブラックユーモアなど、Xメンのプリクエル版には盛り込めないような要素もあり、この路線で新たなジャンルをつくってほしいと思う。

第7位 インヒアレント・ヴァイス ★★★1/2- 監督:ポール・トーマス・アンダーソン

 トマス・ピンチョン原作をPTAが映画化。主役のホアキン・フェニックスのオフビート感が絶妙で、全編が主人公同様にドラッグでラリった質感の映画となった。「内在する欠陥」は男の誰もがもっているものであり、男の悲しい性を感じる。ピンチョンの原作は、まわりくどくてきちんと読むことができなかった。監督PTAもそうなのだが、好き嫌いが別れる作家ということなのだろう。

第6位 ホビット 決戦のゆくえ ★★★1/2 監督:ピーター・ジャクソン

 ピーター・ジャクソン監督のライフワーク最終章。長い物語だが、絶妙なプロットのためか、あるいは画面から伝わる熱さのためか、あまり気にならない。ロード・オブ・ザ・リングがフロドの物語であって、同時に人間の王アラゴルンの帰還の物語であるように、ホビットもビルボの物語であると同時に、ドワーフの王トーリンの復活の物語でもある。ピーター・ジャクソンは正直なところ、このふたつの物語以外ではあまりぱっとしないのだが、次作はどうするのだろう。

第5位 ジュラシック・ワールド ★★★1/2 監督:コリン・トレヴォロウ

 ジュラシック・パークシリーズの4作目。シリーズ第1作のインパクトは、スピルバーグ自らつくった2作目、製作にのみ関与した3作目で失われていったのだが、この4作目はあれほど事件を起こして開園するはずない、とスタッフも観客もみなそう思っていた前提をあっさりと覆し、開園している状況から提示することで、シリーズのリブートを図った。怪獣映画と揶揄する声もあるが、緊張感も映画的快楽もある良作だ。監督コリン・トレヴォロウはスター・ウォーズ・エピソード9の監督に抜擢されているらしい。これは期待できる。

第4位 シン・シティ 復讐の女神 ★★★1/2 監督:ロバート・ロドリゲス&フランク・ミラー

 10年ぶりの新作は、前作ほどのインパクトはないものの、十分に快作だった。原作者が脚本と監督(の一部)を担うことは、ともすれば思い入れが強すぎて失敗しがちだが、ロドリゲスのリードもあってかこのシリーズにかぎっては成功している。もう一本分くらいつくる原作は残ってそうだが、実現するかどうか。役者では、エヴァ役のエヴァ・グリーンが素晴らしかった。

第3位 マッドマックス 怒りのデスロード ★★★1/2+ 監督:ジョージ・ミラー

ジョージ・ミラー監督のライフワークであり、27年ぶりの新作。シンプルな「行きて帰りし物語」を、独自のおバカな世界観でガンガン突っ走る。世紀末的なライダーたちには、お抱えのロック・ギタリストがいる。作られた兵士の開放譚もある。27年前のパート3の消化不良を払拭した。次作もあるらしいが、もう一本おなじような高級B級映画をつくることができるかどうかは懸念もある。

第2位 セッション(Whipplash) ★★★1/2+ 監督:デミアン・チャゼル

 矛盾する言い方だが、予定調和的などんでん返しが溢れるなかで、この映画のラストの展開を予想できた観客がいただろうか。鬼コーチとの和解でもなく、成功でもなく、挫折でもなく、そのいずれでもありうるラストの展開。脚本家としても監督としてもほとんどキャリアのない30歳の新鋭は、この映画の成功で自由と制約を同時に得た。次の展開が楽しみだ。

第1位 アメリカン・スナイパー ★★★★ 監督:クリント・イーストウッド

 80を過ぎてなお、これほどの創作を残す驚くべき集中力。スナイパーとしての「アメリカの正義」に寄り添いながらも、タカ派、ハト派のどちらに与することなく、妻を思う夫として、子を思う父としての視点で、どちらかといえば淡々とまとめあげる。クリント・イーストウッドには、「ミリオンダラー・ベイビー」というなんともやるせない悲劇の傑作があるが、極私的にはそれを超えたキャリア最高傑作だと思う。  
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Posted by 仲村オルタ at 16:02

2015年12月25日

てふPナイト Vol.2

 12月22日は、我々の大切な友人で私の戦友であるP(てふてふP)の命日だ。
 いろいろあったが、結局去年につづきPの馴染みの店であるバー黒に皆々が集まる。去年のように、告知することなく、貸し切りということでもなく、馴染みのメンバーがあつまり、ああだこうだとPの思い出話に花を咲かせた。



 夜に先立って、コータロー氏の車に乗って、Pが眠る墓を訪れ、手をあわせ、酒を飲んだ。門中の皆々方のはいる大きなお墓だ。墓の脇の小高い丘に登って、まわりの景色をみる。樹木がなければ、海もよく見える丘だ。我々がPの話をしていると、ひらひらと蝶が飛んでいった。てふてふPは「蝶が止まる」ということに由来するペンネームだと聞いていた。口には出さずとも、Pも此処に来ているのだろうと皆思っていたのだろう。
 この日はPの書き残した小説を、私が持っているファイルについてはすべてプリントアウトし、バー黒に持ち込んだ。長編あり、短編あり、別名義のポルノあり。車のなかでPの肉声の残ったラジオをきく。Pの声をきくと、あの人懐こい笑顔が蘇ってくる。ほんとうにその場にいるかのうようだ。
 この夏からPのことが登場する、我が愛する街桜坂をテーマにした小説を書いてみたが、うまくいかなかったので、今書き直し始めている。これを書かないと次に進めそうにないので、まずは書き上げてしまおうと思う。  
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Posted by 仲村オルタ at 12:47

2015年12月19日

レビュー スター・ウォーズ フォースの覚醒(後半にネタバレあり注意)

 スター・ウォーズの1作目であるエピソード4 新たなる希望を映画館で見たのは、まだ小学生の頃だった。四つ上の兄が好きだった映画に僕ものめり込んだ。映画館で映画を見るようになって、間もない頃のことだ。当時はフィギュアやおもちゃは身近になかったので、ポスターを模写したり、ラジオから録音したカセットテープでテーマ音楽を何度も聞き、気分が高ぶらせたものだ。
 それから、三十年以上のときが過ぎた。
 ああもうこれで最後かと寂しくなったエピソード3からも十年。
 私はどうしてもIMAXで見たかった。できれば公開日の最初の回に見たかった。それが叶っただけでも間違いなく、その瞬間世界でもっとも幸福なひとりだっただろう。
 二十世紀フォックスのファンファーレがないのは寂しいが、シンデレラ城のディズニーロゴもなく、ルーカスフィルムの燦然と輝くロゴにつづき、お約束のメインタイトル。劇場に拍手が響きわたり、身体が熱くなった。
 以下激しくネタバレあり。公開前に情報管理が徹底されたように、あまり予備知識なく見たほうが楽しむことができるので、自己責任でお読みください。



 私は(おそらく)筋金入りのファンではないが、スター・ウォーズの世界が再び戻り、それを同時代的に体感するだけで幸福だった。ミレニアムファルコン号が空を、宇宙を飛び回る、ただそれだけで嬉しくなる。この映画は第一作の制作環境に経緯を払い、実撮影のこだわったことが成功したのか、エソード4から6までの画面の質感にとてもよく似ている。その世界を取り戻し、我々にどっぷりと浸かる環境を提示しただけでも、監督JJエイブラムス(彼もまた同世代だ)に最大級の賛辞は送られるだろう。好きな映画かどうかと問われれば、迷いなく好きだと言える。三部作を前提に作られているがゆえに、これでもかというくらいに謎がちりばめられ、次を見るために二年も待たなければならないのかと思うと、かんべんしてよと思うくらい苦痛ではある。
 ただ、一晩たって、この映画のことを振り返ったとき、頭のなかにはひとつの疑念が浮かんだまま、離れない。
 このトリロジーは、新たな予定調和の物語なのか?
 つまり、ダークサイドに落ちた息子カイロ・レンを、両親であるソロとレイアが取り戻す物語なのか、と。
 スター・ウォーズというフレームワークを再現するために、新しい冒険は何も期待できないのか、と。
 プリクェル・トリロジーであるエピソード1から3は、アナキン・スカイウォーカーがダークサイドに落ちる物語であり、エピソード4から6は息子が父親を光であるジェダイへ帰還させる物語だった。前史を描くプリクェル・トリロジーは、ダースベーダーになるという結論がわかっているので、なぜ、どのように、かが焦点となり、展開に驚きはない。ダークサイドのボス、ダース・シディアスも、最初からこの人だなということがわかっている。
 また、時限設定など基本的な物語上のフレームワークでも、旧作(エピソード4や6)と何も変わらない。こんなのはスター・ウォーズじゃないという批判を恐れるあまり、冒険しない完全なスター・ウォーズを無難に作った印象だ。
 ある程度わかっているとはいえ、フォースの覚醒は、あからさまにこのフレームワークを提示したことが、今後の二作の展開に対して不安材料となる。
 一方で、次作に引き継がれた謎は、新しい展開を期待もさせる。
 つまりそれは、
1.フォースが覚醒したレイとルーク・スカイウォーカーの関係は?
2.最高指導者スノークはシスか?
 ということだ。
 1.については、「フォースの覚醒」のなかで、レイのフラッシュ・バックとしてヒントが提示されている。フィギュアまで売り出しているズヴィオ巡査らしきキャラクターが撃たれ、おそらくは幼いレイの泣き叫び声が聞こえる。飛び去っていった宇宙船は、ファルコン号のようにも見える(これは思い過ごしかもしれない)。ラストシーンでふたりはただ見つめ合っただけだ。また、カイロ・レンがレイの思考を読み取ったときの会話からわかるように、レイは確実にこの場面を想起あるいは知っていた。それもヒントかもしれない。
 また、2.については、パルパティーン=ダース・シディアスが暗殺したパルパティーンの師であるダース・プレイガスがスノークではないか、という説がある。これはありうるかもしれない。あの巨大なホログラム姿で次回も登場するのか、シスとしての本領を発揮するのか、中二病とも揶揄される中途半端なカイロ・レンの修行をいかに完成させるのか、これも見ものである。
 今回スター・ウォーズを見終えて改めて感じたのは、この映画が通常の映画体験では感じ得ないほどの圧倒的な影響力を持つものだということだ。ひょっとしたら、JJの最大の貢献は、予定調和の新三部作によってルーカス自身が変更してしまったアナログ感、それに付随するなんだか得体の知れぬ浮揚感を作品に取り戻したことなのではないか。
 この映画の主人公は、レイでもなく、カイロ=レンでもなく、ミレニアム・ファルコンだという指摘がある。たしかにそうだ。CG感満載のナブー・ロイヤルスターシップではこの高揚感は得られない。おそらくはそれがこの映画のすべてかもしれない。



 最後に、いまや私以上にSWに登場するキャラクターや乗り物に詳しくなった6歳の息子と一緒にこの映画を見ることが出来たのは、何より幸せな体験であった。これまで、私に関わったすべての皆さんに感謝したい。
  
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Posted by 仲村オルタ at 00:49

2015年12月16日

杉本博司今昔三部作@千葉市美術館

 ここへきて、立て続けに展覧会に出掛けている。やはり東京近辺はよい展覧会が多い。元美術評論家?という立場でもなく、美術愛好家という立場でもなく、創作人の末席にある者として刺激をうけたいと思うために出かける。
 千葉市美術館で開催されている「開館20周年記念展 杉本博司 趣味と芸術-味占郷/今昔三部作」にでかけた。



 杉本博司氏の今昔三部作とは、「海景」「劇場」「ジオラマ」の三部作である。なかでも、U2"No line on the horizon"のジャケットに使用された「海景」は、杉本氏を知るきっかけとなった思い入れの強い作品であり、いまもLPジャケットサイズの"Boden Sea, Uttwil"を額にいれて部屋に飾ってある(そのとなりには、同じくLPジャケットに採用されたブライアン・イーノ"Small Craft on a Milk Sea”が飾ってある)。
 この海景シリーズのプリントのものは、直島のベネッセアートサイトで見たことがあるが、今回の展覧会でははるかに大きなサイズで並ぶ部屋がいきなり現れ、圧倒される。この部屋だけで、2015年の展覧会のベスト1だ。
 ほかには「ジオラマ」シリーズも初めて見たが、素晴らしかった。アメリカ自然史博物館の古生物や古代人を再現したジオラマを撮影したものだが、現実と仮想の「揺れ」に戸惑いを覚える。目の前にあるもので、現実であり、それは作られたもの。現実よりも美しく現実のようで、仮想のように嘘をつかないもの。
 もうひとつの「趣味と芸術」展については、個人的にあまり響くものではなかった。
 この展覧会も危うく見逃すところだった。はやめに気づいていれば、ギャラリートークにも出かけることが出来ただろう。惜しいことをした。


  
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Posted by 仲村オルタ at 00:45

2015年12月14日

夜市の作者と歩く夜祭

 「夜市」の作家コータロー氏に誘われ、12月3日に秩父夜祭にでかけた。
 民俗的な祭り(なかでも怪しげなもの)にひかれるが、今住んでいる関東については、ほとんど知識がない。お誘いをうけたので調べてみると、日本三大曳き祭りということだそうだ。夜の祭りも冬の夜の花火も幻想的で美しいイメージがある。
 でかけてみると、たしかに幻想的で美しい局面もありはするのだが、コータロー氏のブログのとおり、十代から二十代くらいの若い女性の黄色い声がわっしょいわっしょいと元気な叫びが響き渡る、おおよそ秘祭とはほどとおいものだった。人の混雑もハンパなく、周辺の宿泊施設は数ヶ月前にはもう満室。1ヶ月前の発売日を狙って、西武鉄道レッドアローの指定席を確保しておいたが正解だった。





 この日は寒くはなく、心配された雨にも降られず、ずいぶん楽な見物だったのだろうと思う。夜に浮かび上がる冬の花火は、風がなかったせいかまっすぐに美しくあがり、提灯や鉾のあかりがゆらゆらと揺れる様もまた儚く綺麗だ。「風の古道」「夜行の冬」あたりの作品の好きな僕は、コータローさんのなかでこのあたりのセンサーが反応していることを期待したい。

コウタライン ブログ
秩父夜祭
秩父夜祭2
秩父夜祭3

 ホントなら12月22日までに仕上げるつもりだった盟友てふPに捧ぐ小説も完成せず。文章はやはり毎日書かねばと思う次第(できれば依頼文書ということで)。だが、いまはそういう環境にもないので、とりあえず、ブログをいくつか書いてみようと考えたところだ。  
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Posted by 仲村オルタ at 12:47

2015年11月20日

鴻池朋子展「根源的暴力」@神奈川県民ホール

 鴻池朋子さんの個展に初めてでかけたのは、2009年にオペラシティで開催された「インタートラベラー 神話と遊ぶ人」だった。残酷さと恐怖とユーモアの危ういバランスのうえに成立するその世界観に衝撃を受けた。今思うと、展覧会としてもこれまで見たなかでも最高のものだったかもしれない。インスタレーション、絵画とも圧倒的で、まさに記憶に残る展覧会だった。この展覧会で、この作家を今後もフォローしつづけようと思ったものだ。
 鴻池さんの新作展「根源的暴力」が横浜で開催されたので、でかけた。首都圏では展覧会は多く行われるが、あちこちでたくさん行われているがゆえにともすれば見逃してしまう。今回も、危うく見逃してしまうところだった。
 インタートラベラー展ほどのインパクトはない。洗練された感じもなく、手作り感が強い。「名づけようのないもの」はデヴィッド・リンチ的で、目を背けたくなるような醜さと美しさを内包している。
「根源的暴力」とは何か? 人間が物を作って生きていくということ自体が、自然に背く行為となる「根源的な暴力」であると作者が捉えたことから名づけられたものということだ。展覧会を通じて、その暴力を正面から見つめることで人はなぜ「作る」のかという行為を問うとのこと。原始的な創作衝動を感じる、荒々しい剥き出しの展覧会だった。


  
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Posted by 仲村オルタ at 00:30

2015年09月21日

ラグビーワールドカップ 南アフリカ戦

 かつて、自分がラガーメンであったことを思い出した10分間。
 かつて、自分が諦めることを恥じ、それを同様に他人に求めたことを思い出した10分間。
 何度かPKの場面があり、狙うことを選択してもおかしくないし、それがセオリーだと思う。監督もそう指示していたらしい。
 しかし、フィフティーンは勝ちにこだわった。誰もが勝てると信じていたのだろう。
 終わってみれば、必然に思えるが、ラストワンプレーで誰も諦めることなく、誰もミスをすることなく、トライをとる。
 震えた。素晴らしい。
 チームはこれで満足していない。本当の闘いはこれからだ。

  
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Posted by 仲村オルタ at 16:01
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仲村オルタ
仲村オルタ
職業:書き物一切。
職人のごとくただ書くのみ(としたい)。
公式サイト alt99.net
台湾より沖縄復帰後1年で関西へ。まさかの東京暮らしを経て、流れ流れて今は沖縄暮らし。
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