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Posted by TI-DA at

2014年11月14日

映画「ニンフォマニアック」レビュー

 二ヶ月かけて、一本ずつ公開された4時間に及ぶラース・フォン・トリアーの大作「ニンフォマニアック vol.1/vol.2」を見た。
 トリアーは苦手な監督のひとりだったが、嫌なのに気になる二本「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「奇跡の海」、そして圧倒された悪夢の映画「アンチ・クライスト」でいまやお気に入り監督の一人である。
 結論的に言えば、長すぎるためか焦点を絞るのに難しい映画だが、おそらくは意図的なその手法の大胆さに泡を食った。以下厳密にはネタバレあり。



(物語 moviewalkerより)
寒さが身にしみるある冬の日、孤独な初老の男性セリグマン(ステラン・スカルスガルド)は裏通りでジョーという女性(シャルロット・ゲンズブール)が負傷して倒れているのを見つける。ジョーを部屋に連れ帰り手当てを施すセリグマン。回復したジョーに何があったのか尋ねると、彼女は驚くような性体験を重ねた自らの半生を赤裸々に語りはじめる……。いつしか不感症となった彼女は、快感を取り戻そうと試行錯誤を繰り返すが……。

 この映画は「性的倒錯者」の苦悩をめぐる映画ではない。エロスを描く映画でもない(画面は少しもエロくない)。ニンフォマニアック(色情狂)であるジョーが、自分の人生を語りながら、自分自身の業と罪を知り、解放を果たす物語だ。多く批判されるであろうあの「予期された」結末も、解放されたジョーゆえにとった行動と理解できるし、「ハッピーエンドだがバッドエンド」というトリアー独特のアイロニーも高等戦術と理解できる。
 映画を通して一番の見せ場は、ユマ・サーマン演じるH婦人のエピソードだろう。主人公ジョーのもとに、妻と子供を捨てた男が荷物を持ってやってくる。そこへその妻と子供が乗り込んでくる。ユマ・サーマンは「あなたは一晩に何人の人生を破壊すればいいの。私は20年かけて築いたのに」と泣き叫びながら、子供たちに父親だった男を記憶に焼き付けておきなさいと指示する。そこにもうひとり別の男がなだれこんでくる。まさに凍りつくような修羅場だが、見ていてコメディーのように笑える。笑えない場面なのに、どういうわけか笑える。
 いくつか気になったことがある。ジョーの運命の相手ジェロームは、トランスフォーマーシリーズのシャイア・ラブーフが演じているのだが、ラスト近くで現れる老いた(中年の?)ジェロームだけは別の役者が演じている。文脈からそれが誰かはわかるのだが、混乱するのでやめてほしい。
 もうひとつ気になったのは、トリアーが意図的に自作の引用をすることだ。不感症になったジョーに、夫が「ほかの男と寝てこい」という「奇跡の海」に似た状況ならまだありうる。ジョーが置き去りにした赤ん坊が、雪をみながら窓を乗り越えていくシーンは、「アンチ・クライスト」そのもので、ああ、またあんな苦しいシーンを見させられるのかと思い、嫌悪感とハラハラ感を味わう。その処理もまた、トリアーならではのものだった。個人的には「アンチ・クライスト」のように衝撃的な傑作ではなかったが、満足はしている。この監督もまたリンチ同様に幸せな監督だなと思った。あともうひとつ。この映画はいやらしくないので、中途半端なモザイクはやめてほしい。  
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Posted by 仲村オルタ at 20:00

2014年11月09日

ポトゥア東野健一さんと行く新長田ツアー

 巻物紙芝居(ポトゥア)師東野さんが、神戸文化祭のイベントとして企画した街歩きツアーに参加した。
 東野さんと言えば、10月に神戸CAPにて冬虫夏草をテーマとした個展を開いたばかり。9月の準備期間には公開制作と紙芝居を披露してくれたのだが、そのときにこの街歩き企画を知った。
 街歩きといえば、かつてwanakioイベントでの街歩きに何度か参加し、いつも楽しかったことを覚えている。桜坂ツアーもあれば、深夜の那覇スージ小ツアーなどという魅惑的なイベントもあった。いまでは、こうした街歩きも現地発ツアーのひとつのメニューになり、とても人気があるようだ。
過去記事
宮里千里さんと行く桜坂探訪

 チラシには集合は鉄人28号の○○の○○の下とある。集合時間に行ってみると、いつも楽しそうなポトゥア東野氏が居た。



 その後、お好み焼き青森(ソバメシの発祥地)、阪神大震災の爪痕をいまだ感じる場所、細い路地めぐり、港、新長田の銭湯のこと、最後には社会的弱者についての話をききながら、街歩きを振り返る。この街で暮らしていたこともあり、東野さんのこの街への愛情が伝わる街歩きだった。解散後、別の店で新長田の粉モンを食べて帰った。小春日和のいい一日だった。東野さん、ありがとう。












  
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Posted by 仲村オルタ at 22:28

2014年11月03日

福岡アジア美術トリエンナーレ2014 レビュー

 福岡アジア美術館(通称あじび)は僕が好きな美術館のひとつだ。この町に住んではいないが、福岡を訪れ時間があると、ふらふらと出かけてしまう。夜8時まで空いているのもいい。アジアの作家たちの剥き出しの創造欲を目にするのは、刺激的で、カツをいれられるようでそれもいい。
 横トリが予想外の不発だったのだが、やはり福岡アジア美術館のあじびトリエンナーレは素晴らしかった。
 誰かの個展ではなく、多くの作家が参加するこうした美術展では、キュレーターはむりにテーマづける必要はない。作品ひとつひとつと向き合うような環境を作ることに徹するべきだ。ひとつひとつの作品が面白く、鑑賞者の内部に突き刺されば、自ずと全体としてテーマは浮かび上がるだろう。我々は言葉やコンセプトを見たいのではない。美術作品をみたいわけでもないかもしれない。日常から少しだけずれたなにか面白いものをみたいのだ。

 何人か特に印象に残った作家を紹介する。
 いちばん、時間をかけて見たのは、バドゥザグディン・ナンディン・エルデネというモンゴルの女性作家の作品だ。女性の顔や裸体の絵に、雑誌の切り抜きなどをコラージュしているもの。描いた絵をなぞるようにコラージュされているようで、少しずつイメージや配置にズレがある。空間が捻れたような、リンチ的な、ベーコン的な不思議な味わいがある。



 上海から参加したヤン・ヨンリァン(楊泳梁)のビデオコラージュも面白い。全体は伝統的な水墨画だが、細部に現代の都市の映像がコラージュしてある。未来都市をみるようだ。9分あまりの映像作品のあいだに、ある小さな(実にユニークな)変化がある。youtubeにコピーもあるが、大きな画面で見ないと面白くないので、実際に会場で見て欲しい。



 最後に日本(しかも地元福岡)から参加した「あのラボ」を紹介したい。室内のトリガー棒(時空間のしっぽ)に触れた瞬間に、ライブ映像スクリーンのなかで現在の映像と少し前の切り取った映像が同時に再生され、やがて時間が融合するように映像が重なる。記憶と現実、そのつながりと隔絶。驚き、混乱し、そして楽しくなる。素晴らしいインスタレーションだ。ぜひとも会場で体験してほしい。

  
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Posted by 仲村オルタ at 09:46

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仲村オルタ
仲村オルタ
職業:書き物一切。
職人のごとくただ書くのみ(としたい)。
公式サイト alt99.net
台湾より沖縄復帰後1年で関西へ。まさかの東京暮らしを経て、流れ流れて今は沖縄暮らし。
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