2011年10月12日
猿の惑星:創世記
僕はリアルタイムな猿の惑星四部作世代ではない(どちらかというと、日本版二番煎じの猿の軍団世代である)。が、まだ小学生くらいでみた猿の惑星のあの衝撃のラストははっきりと覚えている。映画史上、傑出したラストシーンのひとつではないだろうか。ティム・バートン版もみたが、ほとんど覚えていない。ティム・バートンという監督は好きだが、猿の惑星では、作りたいものを作ろうとしているのか、大作にしたいのか中途半端で、消化不良だったと思う。
新しい猿の惑星は、はやりのゼロもの。なぜ、猿の惑星となったかということを説明している。随分評判がよいので、さっそく見に行ってきた。
(以下厳密に言えばネタばれあり)
結果は個人的には惨敗。ただの説明にしか思えない。映画的興奮がほとんどない。映画的カタルシスも葛藤もない。猿のすばらしい動きというのは、別に映画的な進化というわけでもない。美しいインド人女優(どこかでみたかと思っていたら、スラムドッグ・ミリオネアだ!)は、物語の終盤で姿を消し、そのままでてこない。科学者と猿の友情も葛藤も対立も和解もない。強いていえば人間の愚かさを描く風刺性はあるが、好奇心と悪意なき悪意によって不幸が訪れるというものは、考えてみればジュラシック・パークとなにも変わらない(話はそれるが、ジュラシック・パークのTレックス登場シーンはものすごい映画的興奮に満ちていた)。おそらく次回作が作られるのだろうが、また説明を続けるというのだろうか。
映画は映画的興奮に満ちているべきだ。そう改めて感じさせられた映画だった。
新しい猿の惑星は、はやりのゼロもの。なぜ、猿の惑星となったかということを説明している。随分評判がよいので、さっそく見に行ってきた。
(以下厳密に言えばネタばれあり)
結果は個人的には惨敗。ただの説明にしか思えない。映画的興奮がほとんどない。映画的カタルシスも葛藤もない。猿のすばらしい動きというのは、別に映画的な進化というわけでもない。美しいインド人女優(どこかでみたかと思っていたら、スラムドッグ・ミリオネアだ!)は、物語の終盤で姿を消し、そのままでてこない。科学者と猿の友情も葛藤も対立も和解もない。強いていえば人間の愚かさを描く風刺性はあるが、好奇心と悪意なき悪意によって不幸が訪れるというものは、考えてみればジュラシック・パークとなにも変わらない(話はそれるが、ジュラシック・パークのTレックス登場シーンはものすごい映画的興奮に満ちていた)。おそらく次回作が作られるのだろうが、また説明を続けるというのだろうか。
映画は映画的興奮に満ちているべきだ。そう改めて感じさせられた映画だった。
Posted by 仲村オルタ at
23:25