【PR】

  

Posted by TI-DA at

2005年03月24日

岡本太郎美術館にて


川崎市岡本太郎美術館  

 岡本太郎を初めて知ったのは、「芸術は爆発だ!」
という例の有名なCMだった。けったいな人やなと
子供心に思っていたのだが、のちに大阪の万博
公園にある「太陽の塔」が太郎作だと追認したとき、
論理的な説明を許さないあの巨大な彫刻像を作り
上げた現代美術の巨人の力強い意志を改めて
知ることになる。今から三十年以上も前に、全世界
的なイベントのシンボルとして、あれほどアバン
ギャルドな彫刻像が国費で建設されたと思うと、
実に爽快極まりない。
 岡本太郎は96年に亡くなった(享年84歳)。
彼の生誕地である川崎市の生田の森のなかに堂々
とその美術館はそびえたつ。この美術館を満喫する
ためには、おそらくまるまる一日費やしても足りない
ほどだ。太郎の初期の絵画から彫刻、写真、制作
風景を撮影したフィルム、椅子や時計などのインダ
ストリアル・デザインなどがゆったりと展示されている。
太郎は、思想家、著述家としても饒舌すぎるほど鋭い
言葉を駆使する。美術家が言葉を語り始めると、
ともすれば説明的になりすぎて、文章も美術も輝きを
失ってしまいがちだが、太郎の言葉はすべて震える
ほど格好よく、けっして作品をごまかすことをしない。
もちろん言葉以上に作品はすべて饒舌で、プリミティ
ブで、圧倒的で、そしてオルタナティブなのだ。
 美術館のなかでわたしはゆっくりと時間をかけて、
ひとつひとつの作品と向き合った。しばらくの忘我の
果てに、ふと涙がこみ上げてくる。この美術館に、
静謐を求めてはいけない。暴力的に揺さぶられた
後に、不意に訪れる可能性という名の飢餓を、
あなたは知るに違いない(仲村オルタ:書き物一切)。

(前島アートセンター あーにゅー より転載)

  
  • LINEで送る


Posted by 仲村オルタ at 20:01

2005年03月12日

てるりんの葬儀


てるりんの葬儀に出かけた。あらためて大勢の人々に愛された人なのだと感じる。
会場にはてるりんの陽気で脳天気な音楽が流れている。
小春日和なら良かったのに、寒々とした今年の冬を象徴するような小雨の日。
でも、てるりんが降りてきたのか
わたしのなかに新作短編のアイデアが浮かぶ。
そのまま、残波ロイヤルの石垣克子さん個展にお邪魔する折に、
視界の先に開けた海を見たとき、
このアイデアは100枚マテリアルになりそうな予感がした。
てるりん、ありがとう。手を合わせたとき、そっと感謝する。
  
  • LINEで送る


Posted by 仲村オルタ at 18:08

2005年03月11日

【島コラム小 050311】てるりん逝く

島コラム小 99 てるりん逝く

1)
 またひとり、沖縄芸能界の巨人が逝ってしまった。
 わたしが初めて照屋林助氏を知ったのは(きちんと認識したのは)、
コザにあるデイゴホテルに泊まったときだった。このホテルの目の
前に、威風堂々として「コザ独立国大統領官邸」がある。名前は聞い
たことがあったので、ワタブーショウなる奇妙な音楽(漫談)を後
追いで聞いた。ああ、そういえばポリカイン(水虫薬)のCMに出
ていたなとおぼろげに思い出す。映画「ウンタマギルー」の冒頭の
「ドルドルドン、ドルドルドン、日本復帰はドルドン・・」と唄う
てるりんの声はいつまでも頭に残って繰り返される。同時代的にて
るりんを追いかけていたわけではないが、それでもこの巨人の影響
は見えるところ、見えざるところで、この沖縄では感じられる。

2)
 照屋林助とは何者だろう? 訃報を伝える新聞では、「漫談家」
とも「歌謡漫談家」とも「沖縄音楽界の重鎮」とも紹介されるが、
話芸、唄、自ら開発した電気四線などを駆使するその特異な芸道は、
「沖縄よろず漫芸」「沖縄チャンプラリズムの真髄」という称号に
ふさわしい。オキナワカルチャーアーカイブによると、以下のよう
に紹介されている。

 テルリンがワタブーショーで一世を風靡したのは昭和三〇年代の
こと。沖縄には琉球民謡、アメリカンポップス、本土の歌謡曲とさ
まざまなカルチャーが共存するが、テルリンはそれらをつぎはぎに
し、混ぜ合わせ、パロディー化して独特のお笑い文化を作った。
(オキナワカルチャーアーカイブより)

3)
 わたしがそのステージを観てみたいと思ったときには、すでにて
るりんの病状は思わしくなく、入退院を繰り返していた。下記のて
るりん館紹介では未だ要問い合わせながらもステージの紹介をして
いたので、こちらに住み始めて間もない頃に一度問い合わせたこと
がある。「今は、体調を崩してやっておりません」とのことだった。
てるりんの息子のりんけんバンド林賢氏のサイトによると、2001/08
/29(Wed)の日記ではこの頃はカラハーイ(林賢氏のホームグラウン
ド)でライブをやっていたようだ。

4)
 今や息子林賢氏もある意味では沖縄芸能界では異端でありつづけ
るものの重鎮ともいえるが、わたしは個人的にりんけんバンドのキー
ボードが前面に出た音楽と相性が悪い。それだけにてるりんのステー
ジを一度生で観たかったという後悔が残る。カデリン(嘉手苅林昌)
が逝き、そしててるりんが逝き、ふたりの巨人が去ってしまった。
てるりんの師匠小那覇舞天は、いまや地元石川市のインキュベーショ
ン施設に「石川地域活性化センター舞天館」と冠されるまでになっ
た。やがて、コザでもそういった施設ができるかもしれないし、大
統領官邸がリニューアルされて博物館になるかもしれない。もう一
度、ウンタマギルーを観て、そのポップなセンスを偲びたいと思う。
ご冥福をお祈り申し上げます。

コザ独立国ホームページ
てるりん館 紹介

おきなわいちサイト(旧デジタルあじまぁ)

(短況)
 今週は前半は暖かい小春日和(というより初夏日和)で、久々に
連続で太陽の光を仰いだ気がします。先週末の寒さが嘘のようです。
明日からまた寒くなるということで、もう正直勘弁してほしい気が
します。今週は瀬長島の話題を書こうと準備しておりましたが、急
遽コンテンツを差し替えました。おるた
  
  • LINEで送る


Posted by 仲村オルタ at 20:00

マイアルバム
プロフィール
仲村オルタ
仲村オルタ
職業:書き物一切。
職人のごとくただ書くのみ(としたい)。
公式サイト alt99.net
台湾より沖縄復帰後1年で関西へ。まさかの東京暮らしを経て、流れ流れて今は沖縄暮らし。
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 11人
アクセスカウンタ