2014年03月30日

リヴィエラを撃て

 勝手に師事する作家のおひとり高村薫氏の代表作のひとつ「リヴィエラを撃て」を再読している。もう何度めかの再読だが、今回はやたらと傍線の入っていて読みにくい新潮文庫本ではなく、新しく双葉文庫版(日本推理作家協会賞受賞作全集)を購入して読み始めた。今書いているSFとはまったく関係がないのだが、多視点描写がテンポよく進む小説といえば僕はリヴィエラを思い浮かべるので、再読することにしたのだ。

リヴィエラを撃てリヴィエラを撃て

 この小説は氏の小説の中では冒頭部が最も読みやすく、入りやすい小説だと思う。「リヴィエラ」というコードネームを持つスパイは誰か、リヴィエラをめぐる国家陰謀はなにか、というSeek&Findは物語をドライヴする要素だが、例によって、高村小説ではそれは重要ではない。リヴィエラとその陰謀に翻弄される登場人物(IRAテロリスト、MI5エージェント、MI6エージェント、CIAエージェント、イギリス警察、日本外事警察など)を複数視点で多面的に描き、運命や情動に翻弄される人間そのものを描く。007的アクションと陰謀もあれば、タカムラー定番のボーイズラブ的要素もあれば、高村小説には珍しい男女の激しいラブシーンもある。僕が高村さんのファンだと言うと、よく「何がおすすめですか?」と聞かれるのだが、いつも「一番すごいのは【レディ・ジョーカー】、最初に読むのにいいのは【リヴィエラを撃て】」と答えている。
 小説の構造的には、92年→78年→81年→89年→92年という時系列の入れ替えがあるが、物語の進め方として必然性があり、作者の独善的恣意を感じないし、時制入れ替えによる混乱もない。視点描写は多視点で、ひとつひとつの章は独立した連作短編というほどではないが、ひとつひとつの章にキィとなる登場人物を設定し人物の行動と感情を深く深く掘り下げるため、個々の章については長編としての継続性を放棄しているのではと思えることもある。それでいて、物語全体に熱を帯び、サーガものを体感したほどの圧倒的な満足がある。文句ない圧倒的傑作である。この小説の原型が氏の処女小説だが、こんな小説を前にするとただただため息が出るばかりだ。
 多視点描写については、何度か読んでいると、かなり神視点的で作者の恣意がやや出過ぎかな、という印象を持った。行開けによる視点切り替えも一部(意図的かもしれないが)ルール無視のところもある。これはテクニックの選択の問題で、作品の質に影響を及ぼすほどではないが、筆力のない僕が真似をすると大変なことになるので自戒しながら、結局はその熱を感じるように読んで、また物語に没頭してしまう。
 桜の季節になるともうひとつ氏の小説でまた読みたくなるのが〈李歐〉だ。SFを読んでSF頭にせねば、と思っているところだが、仕方ない。次は〈李歐〉を読むか。



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Posted by 仲村オルタ at 11:37
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