2010年12月17日
虐殺器官
まず一読して、ガツンと衝撃を受けた気がした。こんな凄いものを書いた作者は何者だと思った。作者は既にガンでこの世を去っていた。しかもこれはデビュー作なのだ。激しい羨望と陶酔のあと、僕は著者・伊藤計劃の遅れてきたファンのひとりとなった。この「虐殺器官」は911後の小説の始まりであり、ともすれば到達点でもある。そんな気がしたのだ。
プロットはいたってシンプルだ。サラエボを手作り核爆弾で失った以後、新たなステージを迎えたテロとの戦いの続く近未来の世界で、ジョン・ポールという男を追う特殊部隊員クラヴィス・シェーパード。ジョン・ポールは貧困に喘ぐ第三世界において、「ある方法」で内戦を導き、大量虐殺を仕掛けている。彼を捕らえる、あるいは暗殺する任務にあたるクラヴィスは、あまりにもナイーブで内省的で思索的だ。ともすればスノッブな印象に陥ってしまいがちな、この知的なアクションストーリーを、一貫して淡々と、ときにユーモアを交え、言語遊びと哲学遊びとアクションゲーム世界の危ういバランスのうちに作者は提示する。これだけの思索のアウトプットをするには、その数十倍もの思索のストックを持ち合わせていなければならない。完成形でおそらくは700枚を超えるこの小説の原型を、作者は10日間あまりで書き上げた(しかも癌治療の退院直後に、会社勤めをしながらという状況でだ)というから、ただ、ただ驚くしかない。
書かれている物語のおそらくは半分以上は、一人称で語られるクラヴィス自身の思索にあたるのではないか、と思える。印象的なエピソードも、素晴らしき過去の幻影として語られる1980年代的文化遺産も、これだけのヴォリュームをこのクオリティを維持して書き続けるのは至難の技であろう。また、この物語で語られる近未来的ガジェットは、ともすればSF世界にありがちな非現実性のかけらもなく、まったく現実的に、現世界のテクノロジーの延長として納得しうるものばかりなのだ(僕の知識と見解に誤りがなければ、という前提だが)。作者はウエブディレクターだという。その知識と想像力が、この魅惑的で、実現したら心底恐ろしいと思える近未来を完璧に構築した。モジュールの集合体として捉えた脳の機能も、それを制御するテクノロジーも、ネットテクノロジーを駆使した管理社会像も、そのどれもが力強いリアリティを勝ち得ている。本物である必要はない。本物であると納得できることが重要だ。僕がこの物語のなかで違和感を感じたのは、インドとカーストの未来における認識くらいだろうか。それも僕が正しいのか、著者が正しいのかははっきりと解らない。
伊藤計劃氏は、この物語のほか、2本の長編小説と、2本の短編を書いたあと、35歳の若さでこの世を去った。残りの2本の長編は病床で書いているというのも驚きだが、もし生きていたら、どんな凄い作家になったのだろうかと思うと、本当に惜しい思いがする伊藤計劃を読むことができるのは、あと4つの物語しかないのだ。プロットはシンプル、思索ばかりでストーリーテリングじゃない? 自己満足的にメソメソした主人公がアクションごっこをしてる? いや、いや、そんな批判などまったく気にもならない。大切に、愛おしむように、伊藤計劃的世界に浸りたいと思う。
左は書籍版、右はkindle版
Posted by 仲村オルタ at 22:12