2010年05月22日

文庫版レディ・ジョーカーのこと

文庫版レディ・ジョーカーのこと

 文庫化に併せていつものように全面改稿し三文冊となった高村薫氏の「レディ・ジョーカー」をようやく読了した。
 改めて感じたのは、これが得体の知れぬ怪物のような小説だということだ。なんだ、これは、というのが正直な感想だ。謎解きや、社会的批判で好奇心を釘付けにしながら、読む者の体内に手を入れ、臓腑を無理矢理掴み取るような感覚。感情をもつ人間が、感情を持つ故の苦悩を、嫌というほど見せつける。こんな小説体験はほかの小説では得られない。数日間まともな社会生活を送れなくなるほどの衝撃が、この小説にはある。こんな怪物を目の前にすると、自分が物語を書こうとしていることさえ恥ずかしくなる。圧倒的な傑作だ。
 細かい比較をしながら読んだわけではないが、改稿のポイントは、全体的に情報の記述を減らし、事件にかかわる登場人物の感情そのものにより焦点を当てたのだと判る。グリコ森永事件でも問い沙汰された企業恐喝の裏にある株取引や、犯行グループ構成の変化については、新書版のときには「はあ、そうだったのか」と思わせて謎解きを楽しむ要素もあったが、文庫版ではそれは脇役として抑制されている。
 特に、組織人として対峙しながらも個人的な心情のうちに揺れる城山の合田に対する思い、全体像の掴みにくかった物井の憎悪と鬼のような激しい感情が浮かび上がった。義兄に対する合田の情欲はより具体的な記述になり、その筋の高村ファンには喜ばしいことかもしれないが、個人的にはこれはあまり関心がない。
 また、多視点三人称手法を採用することにより、当事者の感情を同時に知ることができるが、この手法をとるには、作家として簡単には背負いきれぬ責任を持つことになるのだ、と率直に思った。比べることすらおこがましいが、そういう意味では不発に終わった拙作QSはすべてが中途半端なのだろう。
 はあ、なんという物語か。なんという小説か。この物語を読み終えた至福を感じながら、打ちのめされた疲労にぐったりする。このような小説体験をほかにすることができないのかと思うと、やはりそれもまた寂しくはある。

 昔新聞に書いたエッセイのようなものはこちら。「晴読雨読」琉球新報



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Posted by 仲村オルタ at 10:20
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