2015年07月26日
紅い月
佐野元春の新しいアルバムが届いた。タイトルはBlood Moon。不吉なイメージのある紅い月だ。
新しいアルバムを初めて聴く前には、楽しみなのだが、どういうわけかとても緊張する。
前作Zooeyは、個人的にはあまりピンとこなかった。La vita e bella、ポーラスタア、虹をつかむ人など秀作はあるが、アルバムを通して聴けないのだ。おそらく、このアルバム後半が緊張感を失っているように思えるのと、全体に感じられる甘いセンチメンタリズムが好みではないのだろう。
しかし、この新作はまったく様相が異なる。
ソリッドでビートの効いたロックアルバム。一度聞いただけではつかみきれない。ただ期待感だけが残る。
そこに描かれるのは、残酷で、痛いまでの現実だ。
空を見てごらん
紅い月が浮かんでる
夢は破れてすべてが壊れてしまった
君が夢に見てた温もりは
他の誰かのためのおとぎ話だった
もう振り向くことはないよ
人生は短い
大事な君
心、偽らないで
どんな時もここで戦ってるから
(「紅い月」 佐野元春&The Coyote Band)
佐野の音楽は、肯定的なメッセージを発するポップサイド佐野と、いつもダメージを受けそうなギリギリのところで踏みとどまる危うさを抱えるダークサイド佐野との相克において生まれる。だが、これほどまでに直接的にネガティブなメッセージがこれまでに記憶にない。信じる心いつまでも、と歌っていた人物とは思えない。傷を受ければ血が流れる。叶わない夢は永遠に叶わない。それが現実だろう。
しかし、その先で突き放さず、「心偽らないで」と優しく寄り添う。佐野の歌詞中に現れる「きみ」は佐野自身であることも多い。ポップ・ミュージックのマジックなど信じない。これがすべて、これが現実。境界線を超え、新しい地平線にたち、もう一度自分を偽らないで踊ろうと宣言する。
アルバムを通して、力の抜けた余裕が溢れている。前作で息をひそめたバンド・サウンドが帰ってきた(とくに今回はドラムスが素晴らしい)。来年還暦を迎えようとする、佐野の新しい立ち位置。ひょっとしたら、「ナポレオンフィッシュ」以来の傑作かもしれない。
新しいアルバムを初めて聴く前には、楽しみなのだが、どういうわけかとても緊張する。
前作Zooeyは、個人的にはあまりピンとこなかった。La vita e bella、ポーラスタア、虹をつかむ人など秀作はあるが、アルバムを通して聴けないのだ。おそらく、このアルバム後半が緊張感を失っているように思えるのと、全体に感じられる甘いセンチメンタリズムが好みではないのだろう。
しかし、この新作はまったく様相が異なる。
ソリッドでビートの効いたロックアルバム。一度聞いただけではつかみきれない。ただ期待感だけが残る。
そこに描かれるのは、残酷で、痛いまでの現実だ。
空を見てごらん
紅い月が浮かんでる
夢は破れてすべてが壊れてしまった
君が夢に見てた温もりは
他の誰かのためのおとぎ話だった
もう振り向くことはないよ
人生は短い
大事な君
心、偽らないで
どんな時もここで戦ってるから
(「紅い月」 佐野元春&The Coyote Band)
佐野の音楽は、肯定的なメッセージを発するポップサイド佐野と、いつもダメージを受けそうなギリギリのところで踏みとどまる危うさを抱えるダークサイド佐野との相克において生まれる。だが、これほどまでに直接的にネガティブなメッセージがこれまでに記憶にない。信じる心いつまでも、と歌っていた人物とは思えない。傷を受ければ血が流れる。叶わない夢は永遠に叶わない。それが現実だろう。
しかし、その先で突き放さず、「心偽らないで」と優しく寄り添う。佐野の歌詞中に現れる「きみ」は佐野自身であることも多い。ポップ・ミュージックのマジックなど信じない。これがすべて、これが現実。境界線を超え、新しい地平線にたち、もう一度自分を偽らないで踊ろうと宣言する。
アルバムを通して、力の抜けた余裕が溢れている。前作で息をひそめたバンド・サウンドが帰ってきた(とくに今回はドラムスが素晴らしい)。来年還暦を迎えようとする、佐野の新しい立ち位置。ひょっとしたら、「ナポレオンフィッシュ」以来の傑作かもしれない。
Posted by 仲村オルタ at 22:27