2004年07月09日

That's why I'm here.

1)
 95年の5月にバハマに行った。当時は1ドル80円前後という物凄い円高で、強い円の恩恵を受け、いつもは貧乏旅行のわたしも結構ゴージャスに楽しんだ(つもり)。

 バハマにはジャンカヌーというカリブ独特のリズムの歌と踊りの形式がある。毎年12月26日と1月1日の二回だけ、派手派手しい衣装に身を包み、カウベルとゴートスキン・ドラムを打ち鳴らし踊り狂う。"思わず身体が動き出してしまう度"では、カチャーシーにも勝るとわたしは思う。BAHA MENがジャンカヌーを取り入れたポップスを多くリリースしているので、最近では結構馴染み深いものだったりするが、当時は確かBAHA MENもレニー・クラビッツとSUNNY DAYあたりをリリースしたばかりの頃でそれほど有名じゃなかった。

 前置きが長くなったが、バハマに旅行で出かけた際に、そのジャンカヌーを踊る一団に偶然遭遇した。時期は年末ではなかったので、おそらくホテルのデモンストレーションかなにかだったのだろう。当時バハメンは知っていたが、ジャンカヌーはそれほど知らなかったし、ついていっていいものかよくわからず、結局ジャンカヌー隊を見送ったという苦い思い出がある。今なら、間違いなく踊り狂いながら、ついていくことだろう。


2)
 バハマに行ったおかげで、利用したノースウェスト航空のマイルが
17,000マイルくらい一気に貯まった。

 当時、ノースウェスト航空は日本エアシステムと提携しており、国内線の特典航空券引き替え基準も、今のようにすべて 15,000マイル統一ではなく、10,000もあれば、 20,000もある状況だった(確か大阪-沖縄は20,000マイルだったと思う)。

 そこで、15,000マイルで一番遠く、一番南に行くことのできるJAS路線を選び、バハマ旅行の3年後、98年初夏に奄美大島へ出かけた。島は美しく、梅雨明け直後の6月下旬の気持ちのよい季節だった。

 大阪出身のダイバーみっちゃん(男・本名不明)の宿にお世話になり、その夜出かけた料理の美味いダイニングで、店の人々が趣味で演奏するナーナーズというネーネーズのコピーバンドの演奏を聴いた。そのとき、ラストで演奏された「黄金の花」に妙に心惹かれた。関西に戻るとすぐに、ネーネーズのCDを集め始めた。

Thats why Im here.


3)
 それまでの三十年あまりのささやかな人生のなかで、気にはなっていたのけれど、旅行でもまだ沖縄に足を踏み入れたことはなかった。

 そこで当時働いていた関西の会社の仕事で、沖縄関係の仕事をやっていた同期の友人をつてに、沖縄の仕事を開拓することにした。奄美での体験が私の気持ちを加速させていた。沖縄に行きたかったから、沖縄の仕事をつくり、みずから積極的に動いた。

 そして、98年の7月、フランスワールドカップ決勝戦の前々日に、蒸し暑い沖縄にとうとう足を踏み入れた。タクシーを降りて、すぐに眼鏡が曇ったのも、このときが生まれて初めてのことだ。

 月曜日午後の仕事をつくったのだが、金曜日の深夜便で沖縄入りし、翌朝早く座間味島へ渡った。信じられないくらい美しい海。そして夢のように美しい島。島の素朴な町並みを歩いていると、とても懐かしい気がした。泳ぎ疲れ、夕方に細い路地を歩いていると、どこかの家から三線の乾いた音が響いてくる。わたしはその場に立ちつくし、ただ呆然とその三線の調べに耳を澄ました。わたしの細胞に含まれる「何か」が、まさに反応した瞬間だ。


4)
 その後、わたしは沖縄にのめり込んでいった。ネーネーズの唄がガイドとなり、島唄の世界にどっぷり浸かっていく。そして素晴らしい唄は、懐の深いオキナワの文化へとわたしを誘い、わたしは言葉ではなく、肌でこのオキナワを知り始める。何処にも行く宛のない、押しつぶされそうなほど蒸し暑い、曇りの日の夏の午後、わたしは旅行者であることの限界を感じる。「ああ、此処に住むことになるかもしれないな」と思った瞬間だ。


5)
 もしも95年にバハマに旅行せず、もしも貯まったマイルで奄美大島に出かけたりせず、みっちゃんの宿にとまったりせず、そこでネーネーズを知る機会もなく過ごしていたとしたら。

 もしもワールドカップフランス大会の年に、関西に居たままにして幸運にも沖縄の仕事をつくことがなかったとしたら。最初の仕事に出かけた出張で座間味島に行ってあの三線の調べを耳にすることがなかったら、果たして今わたしは此処オキナワに居たことだろうか。

 人生には、いくつかの苦渋の選択もあれば、いくつかの偶然と幸運もある。しかし、後になって振り返ってみれば、それはすべて必然のように思えてくる。すべては、今此処に存在するために仕組まれていたようにさえ思えてくるのだ。

 いずれにしても、わたしはとても幸運だった。幸運をもたらした縁と、わたしを支えてくれた人々に改めて感謝したいと思う。そしてこの先の縁もまた、同様に大切したい。

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Posted by 仲村オルタ at 00:00
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台湾より沖縄復帰後1年で関西へ。まさかの東京暮らしを経て、流れ流れて今は沖縄暮らし。
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