2010年12月23日

ノルウェイの森

ノルウェイの森

 正確にはこれはレビューではない。原作ファンのひとつの感想にすぎないかもしれない。ハタチそこそこで原作を読んで以来、何度も何度も読んでいる(こうるさい)ファンにとっては、どんな解釈もどんな映像もパーフェクトでありうるはずがない。その前提で書いてみる。
(以下厳密に言えばネタバレあり)

 原作を脚本化する際に、省略が必要となる。それはやむを得ないのだが、どうして原作で印象的なエピソードをカットしてしまったのか。たとえば、火事見物のキス。たとえばキウリ。たとえばレイコとワタナベのふたりきりのお葬式。と思えば、特定のエピソードだけ、過剰に意味づけされている。たとえば、ラスト近くの、レイコとワタナベの行為について。全体的には原作を読んでいないとわからないほど淡々とストーリーが流れているのに、ここだけが過剰に意味づけられているのは、ここを特に強く主張したいか、この行為の(宗教的に、あるいは習慣的に、観念的に)意味づけをしないことには納得しないかのどちらかだろう。
 外国人監督が日本語映画を撮っているために、役者のせりふの完成度にあまり関心がないように思えるのも残念だった。
 一方でとても原作のイメージに近いと思ったシーンは、草原を歩く直子とワタナベのシーンだ。これはとても美しかった。が、映像的と期待された監督のセンスのよさは、少なくとも僕にはあまり響かなかった。
 まあ、仕方ないのだとは思うが、一方で、原作を一度も読んでいないひとがこの映画を見たら、まったくわけがわからないのではないか、と思える。脚本、監督とも日本人だったら、この映画はどうなるだろう。ラストの印象的なせりふさえも空虚に響いたのは、とても残念でならない。

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Posted by 仲村オルタ at 11:39
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台湾より沖縄復帰後1年で関西へ。まさかの東京暮らしを経て、流れ流れて今は沖縄暮らし。
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