2006年01月17日
この日が来ると静かに思う
もう十年以上も前になるのだけれど
この日が来ると毎年やはりあの日のことを思う。
僕は神戸から伸びた活断層の延長上にある
豊中というところに住んでいて、
3連休明けの朝で前の日に遅くまで友達とカラオケなど
していたものだから、当然寝ていた。
地震が起きて目が覚めたというより、
今思い出すと、その直前に目が覚めたような気がする。
本が降ってきて、テレビが倒れた。
豊中でも震度6強とかだった。
どうしても連絡のとりたかった人が芦屋に住んでいたので
その日のうちに原付で芦屋・神戸入りした。
行く道が、何度も地割れや倒壊した電信柱に塞がれ
なかなかたどり着けなかった。
無事を確認して、食料やら何やらを渡して
よくテレビで流れてた倒壊した高速道路の近くを通る。
いったい何が起こってしまったんだろうと思った。
写真は2005年12月のルミナリエ(これは行ったわけじゃない)。
11回目というが、
地震から1年経たない95年の最初のときは
ああここまで復活したんだ、と
美しい光のアーチを見ながら涙が出そうになった。
あの地震のあと、同様に酷い天災があちこちであった。
辛かったひとたちがまた笑顔を取り戻せたなら
とせつに願う。
この日が来ると毎年やはりあの日のことを思う。
僕は神戸から伸びた活断層の延長上にある
豊中というところに住んでいて、
3連休明けの朝で前の日に遅くまで友達とカラオケなど
していたものだから、当然寝ていた。
地震が起きて目が覚めたというより、
今思い出すと、その直前に目が覚めたような気がする。
本が降ってきて、テレビが倒れた。
豊中でも震度6強とかだった。
どうしても連絡のとりたかった人が芦屋に住んでいたので
その日のうちに原付で芦屋・神戸入りした。
行く道が、何度も地割れや倒壊した電信柱に塞がれ
なかなかたどり着けなかった。
無事を確認して、食料やら何やらを渡して
よくテレビで流れてた倒壊した高速道路の近くを通る。
いったい何が起こってしまったんだろうと思った。
写真は2005年12月のルミナリエ(これは行ったわけじゃない)。
11回目というが、
地震から1年経たない95年の最初のときは
ああここまで復活したんだ、と
美しい光のアーチを見ながら涙が出そうになった。
あの地震のあと、同様に酷い天災があちこちであった。
辛かったひとたちがまた笑顔を取り戻せたなら
とせつに願う。
Posted by 仲村オルタ at 01:24