2007年08月01日
塔との再会
7月末に、大阪へ出張するチャンスがあった。
合計15年以上暮らした関西には馴染みもあるし、いろいろな思い出もある。見る風景はほとんど記憶している風景と変わりはないが、少しずつ新しいものを発見したり、あるいは記憶に頼って行動した結果が予期しないものとなったり(たとえば何も考えず地下街を歩いていて、予期せぬ場所に出てしまったり)する。そのたびに、なんだか寂しい気持ちになる。僕はすでにこの大阪ではアウトサイダーだ。すべて望んだ結果であるのに、都合のよいときに寂しくなるのは身勝手だとは思うのだけれど。
出国する日の朝に、急いで太陽の塔を見に行った。じっくりと見上げるのは、もう何年ぶりになるだろうか。これほどまでに、美しい芝生の公園の前に立っていることなど、意識したことがなかった。太陽の塔はいつでも此処にあって、常に一点を見つめ続ける。何も変わらない。揺るぎない。僕はお別れを言うように、ぐるりと一周見渡して、写真をとる。時間があれば、一日中芝生の上に座って、見上げていたかった。
それでも、前に進まなければならない。
合計15年以上暮らした関西には馴染みもあるし、いろいろな思い出もある。見る風景はほとんど記憶している風景と変わりはないが、少しずつ新しいものを発見したり、あるいは記憶に頼って行動した結果が予期しないものとなったり(たとえば何も考えず地下街を歩いていて、予期せぬ場所に出てしまったり)する。そのたびに、なんだか寂しい気持ちになる。僕はすでにこの大阪ではアウトサイダーだ。すべて望んだ結果であるのに、都合のよいときに寂しくなるのは身勝手だとは思うのだけれど。
出国する日の朝に、急いで太陽の塔を見に行った。じっくりと見上げるのは、もう何年ぶりになるだろうか。これほどまでに、美しい芝生の公園の前に立っていることなど、意識したことがなかった。太陽の塔はいつでも此処にあって、常に一点を見つめ続ける。何も変わらない。揺るぎない。僕はお別れを言うように、ぐるりと一周見渡して、写真をとる。時間があれば、一日中芝生の上に座って、見上げていたかった。
それでも、前に進まなければならない。
Posted by 仲村オルタ at 20:00