2014年07月03日

組織と個

 サッカーワールドカップ日本代表のグループリーグ敗退から一週間が過ぎた。
 結果は残念だったが、いい夢を見させてもらったことにまず感謝したい。
 決勝トーナメントでは、日本のやっていたサッカーとはレベルあるいは次元の異なる強く美しいサッカーが行われている。また次の四年間が始まる。
 選手にはけっして「悔いはない」などとは言ってほしくないし、他人事のように自分のチームを分析してほしくもない。応援する我々も感情的な戦犯捜しをしてはならない。マスコミには協会批判も監督批判も選手の涙への同情も、ゴミ拾い美談や渋谷の混雑と同程度に報道してほしくない。ピッチの上の九〇分間がすべて、そして結果がすべて。それ以上でも以下でもない。
 とはいえどうしても考えてしまう。なぜ日本は負けたのだろう? 突き詰めて考えていくと、組織と個の問題に行き当たる。
 結果を振り返ればコートジボワール戦の敗戦がすべてだった。そういう意味では組織的に負けた。十分予想できたはずなのに、ドログバ投入後の状況を想像できず組織的にマネジメントできなかった。何故フリーでクロスを上げさせてしまったのか? テレビで試合を見ながらまず思ったのは長友(選手)は何処へ行ったということだ(もちろんどこかで仕事をしていたと思うが)。なぜ敵の右サイドにスペースができてしまったのか?
 サッカーは、野球と異なり試合中に指揮官の指示を徹底することはできない。ゆえに、個々の選手が戦況を理解し、イマジネーションを高める必要があることは承知しているが、それでもあの状況はハーフタイムのあいだに組織的にマネジメントできなかったのか?
 一点取られても二点取るサッカーに固執して負けたなら、それも仕方ない。だが、一戦目、二戦目に行われた終了間際の単調なクロスやパワープレイを見ていると、組織的に徹底されていたようにも思えない。
 もうひとつは個の問題だ。
 体格差があるから、あるいは個では勝てないから、組織的なサッカーをするというのは論理矛盾を含んだ幻想だと理解しなければならない。個で勝てなければ、組織では勝てない。あるいは、組織的なサッカーをするために必要な水準を保ち得ない。なぜ日本選手はすぐに倒されるのか、なぜ日本選手は此処に居ればと思うような場所に居ないのか、追いつめられたときに単調な攻撃ばかりしてしまうのか。それは「個」の力だ。フィジカルなスキルとして、あるいはイマジネーションスキルとして。次のナショナルチームのテーマは「個」の力の超越だ。現状の個の能力を前提とした組織的サッカーではなく、要求される組織的サッカーに必要な「個」を定義する必要があるのだろう。
 負けてしまったが、ベルギー戦のアメリカチームは実に素晴らしい戦いをした。組織的な守備をしつづけていたが、各選手がその要求レベルに応えていた。ドイツ人監督クリンスマンの天才的なマネジメントなのか、野球やアメフトで導入されているコンピュータ分析が応用されているのかは分からないが、国内に有力なリーグもなく卓越した個も不在のアメリカチームがなぜコンスタントに結果を残すのか。我々はもう一度研究すべきかもしれない。

組織と個

 傑出した個は勝ち抜くための十分条件ではないが必要条件である__報道される情報だけで判断すれば、今の日本チームでは本田(選手)だけがそれを常に意識し、自分自身に言い聞かせているように思える。ワールドカップ期間中に、彼はこう言った。「戦うことをやめたり、信じることをやめれば、その時点で可能性がゼロになる」……また新しい四年間が始まる。また一喜一憂しながら代表戦を見ていくんだろうなと思う。

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Posted by 仲村オルタ at 20:45
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