2016年01月19日
ポトゥア東野健一 ラストイベント
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インド式巻物紙芝居師の東野健一さんから、こんな案内状が届いた。
「ポトゥアの東野です。
昨年12月 胃がんの手術のため入院をした時には ほんとうにお世話になりました
私も元気に退院できることと思っていましたが 結果としては残りの時間は6ヶ月と言う診断になりそれはそれですっきりしたのですが みなさまには完全復帰を願っていただいたのですが!!
人生最速のコースになってしまいました。
今回の「宇頂天果無ポトゥアの宴」は東野の企画する最後のイベントになると思います
ポトゥア東野を支えていただいたみなさまと「ワァー」とにぎやかな宴を開きたく計画しました 何とぞ遅い合わせのうえお越しください
面白きこの世をもっと面白く 住みなすものは心なりけり 高杉晋作のパクリ」
あまりにもショッキングな案内状だった。案内状をみつめ、いろいろなことを考えた。東野さんの大きな声、がんで逝ってしまった友人Pのこと、つい先日がんで逝ってしまったデヴィッド・ボウイのこと。案内状をもらった時点で一週間もなかったが、迷わず行くことを決めた。イベントは、かつて阪神大震災のあった1月17日に行われた。
プライベートな話で恐縮だが、東野さんは私たち家族にとって、特に私の息子にとって特別な存在だ。2014年秋に神戸で行われた冬虫夏草をテーマとした展覧会とワークショップで、息子は自分で作った冬虫夏草の造形を東野さんから褒められ、家に戻っても、紙粘土と針金と絵の具を駆使してまた別の冬虫夏草を作ることに熱中した。これまでそんな創作に自ら意欲的に取り組むことがなかったのだが、よほど楽しかったし、よほど嬉しかったのだろう。また翌週に神戸まで出掛け、東野さんにそれを見てもらって、また褒められた。紙芝居のあと、自分の元に呼び寄せ、「この子はすごい」とまた自信を持たせてくれた。
客観的に考えて、本当に凄いかどうかはわからないが、そんなふうに自信を持たせるような言葉と体験を子供にくれた東野さんに深く感謝し、このご縁を大切にしようと思った。案内状からすると、励ましなどいらんやろなと思いながら、少しでも元気づけたいとも思った。
だから、もしこの機会をやり過ごしてしまったなら、一生後悔するだろうと思い、僕は家族全員で神戸に行くことにした。土曜日には小学校のモルモットのお世話の当番があり、翌日月曜には私がカタギ仕事の出張で台湾に行かなければならないので、慌ただしく日帰りで神戸に行くことになった。
〈宇頂天果無ポトゥアの宴〉……そう題されたイベントは、一昨年個展とワークショップが行われた海外移住と文化の交流センターのホールで行われた。二百人くらいのキャパシティーの会場には、東野さんの最後の紙芝居をみようと、老若男女ゆうに四~五百人を越える人々が集まった。
少し痩せたかもしれないが、張りのある元気な声で、圧倒的な熱を発する東野さんの紙芝居は何も変わらなかった。演目はどれも笑いあり、不条理な恐怖あり、自然に対する畏怖と尊敬あり。頭山、狼の魂などいつもの演目を、友人たちのパフォーマンスを合間にはさみながら、パワフルにこなしていく。とても余命六ヶ月の人とは思えない。会場は東野さんの迫力ある声に負けないくらいの大きな笑い声と声援に包まれた。
「僕は今日、マイクいれずに、全部通してやろうとしている。この力がある以上オレは死なないと思っている」
「寿命は医者がデータで決める。それはデータでしかない。そんなデータで決められたスパンを破っていくのが生きる力。それはずっと言い続けたい」
「これで最後やいいながら、このあとまた2月にやったり、3月にやったりするかもしれません。医者に6ヶ月って決められたけど、自分が生きるってことを前向きに考えている以上がんばっていられる」
ライブの途中で、この12月の経緯を東野さんは教えてくれた。切除のためには抗癌剤治療が必要だったので、それを止めたという。その選択が正しいかどうかは、結果でしかわからないが、その元気な姿を見ていると、迷いなく正しいと思える。半年や言いながら、五年、十年生きられそうな気がする。本人もそう思っているだろう。
ライブの終盤に、私たち家族にとってサプライズが訪れる。息子をステージに呼び、頭を撫でながら、会場に集まった皆さんを前にこう話してくれた。
「個展のとき、彼はいろんなものを作ってくれました。彼が作ってくれたものはすごく良かったんです。
将来、文章かもわからんし、音楽かもわからんし、もしかしたら造形かもわからんし、何をするかわからんけど、この会場に集まった子どもたちも、みんな何かを作ってくれる、何かを世の中にプレゼントしてくれると思います。希望もってるで」
そう言いながら、東野さんは息子の両手を高く掲げた。まるで自分自身の希望を息子ら子供たちに託すように。会場は拍手に包まれた。なんてことだ。励ましに訪れたつもりが、また励まされてる。目頭が熱くなった。
そんなふうに、この素敵なイベントは終わった。
「最後のライブや言うたけど、またやってしまいました」
あの張りのある声で元気に叫んでほしい。たぶん、そうなると思う。
最後に。東野さんとのご縁をくれたすべてのご縁に感謝します。ありがとう。
「狼の魂」
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インド式巻物紙芝居師の東野健一さんから、こんな案内状が届いた。
「ポトゥアの東野です。
昨年12月 胃がんの手術のため入院をした時には ほんとうにお世話になりました
私も元気に退院できることと思っていましたが 結果としては残りの時間は6ヶ月と言う診断になりそれはそれですっきりしたのですが みなさまには完全復帰を願っていただいたのですが!!
人生最速のコースになってしまいました。
今回の「宇頂天果無ポトゥアの宴」は東野の企画する最後のイベントになると思います
ポトゥア東野を支えていただいたみなさまと「ワァー」とにぎやかな宴を開きたく計画しました 何とぞ遅い合わせのうえお越しください
面白きこの世をもっと面白く 住みなすものは心なりけり 高杉晋作のパクリ」
あまりにもショッキングな案内状だった。案内状をみつめ、いろいろなことを考えた。東野さんの大きな声、がんで逝ってしまった友人Pのこと、つい先日がんで逝ってしまったデヴィッド・ボウイのこと。案内状をもらった時点で一週間もなかったが、迷わず行くことを決めた。イベントは、かつて阪神大震災のあった1月17日に行われた。
プライベートな話で恐縮だが、東野さんは私たち家族にとって、特に私の息子にとって特別な存在だ。2014年秋に神戸で行われた冬虫夏草をテーマとした展覧会とワークショップで、息子は自分で作った冬虫夏草の造形を東野さんから褒められ、家に戻っても、紙粘土と針金と絵の具を駆使してまた別の冬虫夏草を作ることに熱中した。これまでそんな創作に自ら意欲的に取り組むことがなかったのだが、よほど楽しかったし、よほど嬉しかったのだろう。また翌週に神戸まで出掛け、東野さんにそれを見てもらって、また褒められた。紙芝居のあと、自分の元に呼び寄せ、「この子はすごい」とまた自信を持たせてくれた。
客観的に考えて、本当に凄いかどうかはわからないが、そんなふうに自信を持たせるような言葉と体験を子供にくれた東野さんに深く感謝し、このご縁を大切にしようと思った。案内状からすると、励ましなどいらんやろなと思いながら、少しでも元気づけたいとも思った。
だから、もしこの機会をやり過ごしてしまったなら、一生後悔するだろうと思い、僕は家族全員で神戸に行くことにした。土曜日には小学校のモルモットのお世話の当番があり、翌日月曜には私がカタギ仕事の出張で台湾に行かなければならないので、慌ただしく日帰りで神戸に行くことになった。
〈宇頂天果無ポトゥアの宴〉……そう題されたイベントは、一昨年個展とワークショップが行われた海外移住と文化の交流センターのホールで行われた。二百人くらいのキャパシティーの会場には、東野さんの最後の紙芝居をみようと、老若男女ゆうに四~五百人を越える人々が集まった。
少し痩せたかもしれないが、張りのある元気な声で、圧倒的な熱を発する東野さんの紙芝居は何も変わらなかった。演目はどれも笑いあり、不条理な恐怖あり、自然に対する畏怖と尊敬あり。頭山、狼の魂などいつもの演目を、友人たちのパフォーマンスを合間にはさみながら、パワフルにこなしていく。とても余命六ヶ月の人とは思えない。会場は東野さんの迫力ある声に負けないくらいの大きな笑い声と声援に包まれた。
「僕は今日、マイクいれずに、全部通してやろうとしている。この力がある以上オレは死なないと思っている」
「寿命は医者がデータで決める。それはデータでしかない。そんなデータで決められたスパンを破っていくのが生きる力。それはずっと言い続けたい」
「これで最後やいいながら、このあとまた2月にやったり、3月にやったりするかもしれません。医者に6ヶ月って決められたけど、自分が生きるってことを前向きに考えている以上がんばっていられる」
ライブの途中で、この12月の経緯を東野さんは教えてくれた。切除のためには抗癌剤治療が必要だったので、それを止めたという。その選択が正しいかどうかは、結果でしかわからないが、その元気な姿を見ていると、迷いなく正しいと思える。半年や言いながら、五年、十年生きられそうな気がする。本人もそう思っているだろう。
ライブの終盤に、私たち家族にとってサプライズが訪れる。息子をステージに呼び、頭を撫でながら、会場に集まった皆さんを前にこう話してくれた。
「個展のとき、彼はいろんなものを作ってくれました。彼が作ってくれたものはすごく良かったんです。
将来、文章かもわからんし、音楽かもわからんし、もしかしたら造形かもわからんし、何をするかわからんけど、この会場に集まった子どもたちも、みんな何かを作ってくれる、何かを世の中にプレゼントしてくれると思います。希望もってるで」
そう言いながら、東野さんは息子の両手を高く掲げた。まるで自分自身の希望を息子ら子供たちに託すように。会場は拍手に包まれた。なんてことだ。励ましに訪れたつもりが、また励まされてる。目頭が熱くなった。
そんなふうに、この素敵なイベントは終わった。
「最後のライブや言うたけど、またやってしまいました」
あの張りのある声で元気に叫んでほしい。たぶん、そうなると思う。
最後に。東野さんとのご縁をくれたすべてのご縁に感謝します。ありがとう。
「狼の魂」
Posted by 仲村オルタ at 10:43
この記事へのコメント
すみません。。勝手にお借りしました。。
Posted by 天楽 もく at 2017年01月09日 16:06