2006年05月19日
【インド旅行記02】それぞれの世界で
ヴァラナシという町には、実に多様な生き物が暮らしている。牛、犬、猿、山羊、そして人・・歩いていてよく目につくものだけでも、これだけいる。これらはすべて野生だ。そして、各々独立した世界を持っている。インドという混沌をそのまま凝縮した構図が、 此処にあるような気がする。
ヴァラナシでは、その野牛の多さにまず驚いた。牛は平然と町を歩く。リキシャやオートバイが勢いよく脇を駆け抜けても、彼らはゆったりと歩むことを止めない。町のあちらこちらに牛糞が放置されている。朝散歩をしていると、細い路地で牛が身体を寄せ合って眠り、道を塞いでいたりする。ヒンズー二大神のひとりシヴァ神の乗り物が聖牛ナンディだったりするので、牛はインドでは神聖な動物であり、食べることはもちろんしないし、不幸にも交通事故で殺してしまっただけでも死刑になるという。牛は人間が居ようが居まいが気にするそぶりはない。ときどき行商の葉を食べようとして、人に追い払われるのは見た。でも、たいていは人のほうが牛に気を遣って生きているのはよくわかる。
かつてインド渡航者は、狂犬病の予防注射が義務づけられていたらしいので、野犬に襲われないよう気をつけようと思っていた。実際に、バリ島で野放しされている犬は大半が凶暴で、何度も危険を感じた。けれども、インドの犬はすべて穏やかなものばかりだった。少なくとも、人に吠えている犬は見かけない。平和そうに眠っているか、残飯を漁っているか、犬どうし喧嘩しているかのどれかだ。ガンガーで祈りを捧げる人の脇で、ある犬が別の犬に襲われて母犬に泣きつくのを見た。道路に寝そべる牛を見たときも感じたことだけれど、同じ空間であっても、人間の世界とは別に犬の世界、牛の世界があるように思った。
猿は庶民のヒーロー・ハヌマン神だったりするので、これも粗略に扱われることはない。それでも、屋上を渡り歩いて、いたずらをするので、泊まったゲストハウスではモンキープロブレムのため金網の扉を閉めてくださいと書いてあったりするなど、結構厄介もんだったりする。山羊は羊、鳥などとともに、食肉禁忌上タブー度が低い(ヒンズー教では基本的に肉食は好ましくないと考えられ、ベジタリアンも多い)動物だが、この牧歌的で人をくったような表情の動物は家族で集う様子が多く見られた。我々に関心がある様子はもちろんない。
世界は決して単層ではない。もちろんヒトだけのものでもない。この混沌とした街で、そんな当たり前のことを再認識した。
ヴァラナシでは、その野牛の多さにまず驚いた。牛は平然と町を歩く。リキシャやオートバイが勢いよく脇を駆け抜けても、彼らはゆったりと歩むことを止めない。町のあちらこちらに牛糞が放置されている。朝散歩をしていると、細い路地で牛が身体を寄せ合って眠り、道を塞いでいたりする。ヒンズー二大神のひとりシヴァ神の乗り物が聖牛ナンディだったりするので、牛はインドでは神聖な動物であり、食べることはもちろんしないし、不幸にも交通事故で殺してしまっただけでも死刑になるという。牛は人間が居ようが居まいが気にするそぶりはない。ときどき行商の葉を食べようとして、人に追い払われるのは見た。でも、たいていは人のほうが牛に気を遣って生きているのはよくわかる。
かつてインド渡航者は、狂犬病の予防注射が義務づけられていたらしいので、野犬に襲われないよう気をつけようと思っていた。実際に、バリ島で野放しされている犬は大半が凶暴で、何度も危険を感じた。けれども、インドの犬はすべて穏やかなものばかりだった。少なくとも、人に吠えている犬は見かけない。平和そうに眠っているか、残飯を漁っているか、犬どうし喧嘩しているかのどれかだ。ガンガーで祈りを捧げる人の脇で、ある犬が別の犬に襲われて母犬に泣きつくのを見た。道路に寝そべる牛を見たときも感じたことだけれど、同じ空間であっても、人間の世界とは別に犬の世界、牛の世界があるように思った。
猿は庶民のヒーロー・ハヌマン神だったりするので、これも粗略に扱われることはない。それでも、屋上を渡り歩いて、いたずらをするので、泊まったゲストハウスではモンキープロブレムのため金網の扉を閉めてくださいと書いてあったりするなど、結構厄介もんだったりする。山羊は羊、鳥などとともに、食肉禁忌上タブー度が低い(ヒンズー教では基本的に肉食は好ましくないと考えられ、ベジタリアンも多い)動物だが、この牧歌的で人をくったような表情の動物は家族で集う様子が多く見られた。我々に関心がある様子はもちろんない。
世界は決して単層ではない。もちろんヒトだけのものでもない。この混沌とした街で、そんな当たり前のことを再認識した。
Posted by 仲村オルタ at 07:26