2006年05月18日
【インド旅行記01】 ガンガーの朝
この旅行は嫌なことばかりだったかというとそうじゃない。
もし嫌なことばかりだったら、もううんざりとしか思わないだろう。
もっとも、印象的だったのは予想通りガンガーだ。今は乾期なので、随分干上がっていて、ヴァラナシ付近での川幅は、那覇で言えば河口近くの漫湖ほどの幅だったけれど、悠々と流れるその様子は、慌ただしいこの町では、唯一の普遍であるような気がする。
朝はヴァラナシの町でもっとも平穏で、美しく、神聖な時間だ。
遙か彼方に昇る朝日に向かい、人々は祈る。沐浴する。子供たちは、はしゃぎながら水遊びをしている。洗濯をする女性もいる。すぐそばの火葬場では、止まることなく死体が焼かれ、その灰が河に流されている。
僕はボートで河に出た。
たいていのボートマンが値段をふっかけてきたのだけれど、最初から良心的だった老人に迷わず頼んだ。物静かなこの老人の舟は、ゆっくりと河を遡っていく。風は柔らかい。なんとなく甘い香りがする。途中でボートの底に貯まった水を、穴の開いたバケツで老人は何度もかき出した。その仕草もどこか優雅だった。
この旅行の最大の目的は、この深い河と対面することだった。
行ってみると、不思議なことにガンガーが特別なもののようには思えない。ああ、ようやく訪れたという感慨よりも、久しぶりの友人あるいは親類に再会したという感じがした。
5月は結婚式のシーズンらしく、派手に鐘を打ち鳴らしながら、結婚式の行列がいくつもガンガーを訪れる。いくつかの寺院をまわり、このガンガーに報告に訪れるのだ。生活の日常も、人生の特別な場面も、今生の最後の瞬間も等価に、また人々の今生の生業をまったく区別することなく、ガンガーは受け止めている。
その深さを僕は長い間ずっと見つめていた。
このインド旅行で神を感じたことはないと書いたけれど、この書き方はおそらくフェアではない。たぶん、僕は頭のどこかで、バリ島と比較している。このことはまた別の機会に書くことにしよう。
もし嫌なことばかりだったら、もううんざりとしか思わないだろう。
もっとも、印象的だったのは予想通りガンガーだ。今は乾期なので、随分干上がっていて、ヴァラナシ付近での川幅は、那覇で言えば河口近くの漫湖ほどの幅だったけれど、悠々と流れるその様子は、慌ただしいこの町では、唯一の普遍であるような気がする。
朝はヴァラナシの町でもっとも平穏で、美しく、神聖な時間だ。
遙か彼方に昇る朝日に向かい、人々は祈る。沐浴する。子供たちは、はしゃぎながら水遊びをしている。洗濯をする女性もいる。すぐそばの火葬場では、止まることなく死体が焼かれ、その灰が河に流されている。
僕はボートで河に出た。
たいていのボートマンが値段をふっかけてきたのだけれど、最初から良心的だった老人に迷わず頼んだ。物静かなこの老人の舟は、ゆっくりと河を遡っていく。風は柔らかい。なんとなく甘い香りがする。途中でボートの底に貯まった水を、穴の開いたバケツで老人は何度もかき出した。その仕草もどこか優雅だった。
この旅行の最大の目的は、この深い河と対面することだった。
行ってみると、不思議なことにガンガーが特別なもののようには思えない。ああ、ようやく訪れたという感慨よりも、久しぶりの友人あるいは親類に再会したという感じがした。
5月は結婚式のシーズンらしく、派手に鐘を打ち鳴らしながら、結婚式の行列がいくつもガンガーを訪れる。いくつかの寺院をまわり、このガンガーに報告に訪れるのだ。生活の日常も、人生の特別な場面も、今生の最後の瞬間も等価に、また人々の今生の生業をまったく区別することなく、ガンガーは受け止めている。
その深さを僕は長い間ずっと見つめていた。
このインド旅行で神を感じたことはないと書いたけれど、この書き方はおそらくフェアではない。たぶん、僕は頭のどこかで、バリ島と比較している。このことはまた別の機会に書くことにしよう。
Posted by 仲村オルタ at 22:28