2005年03月11日

【島コラム小 050311】てるりん逝く

島コラム小 99 てるりん逝く

1)
 またひとり、沖縄芸能界の巨人が逝ってしまった。
 わたしが初めて照屋林助氏を知ったのは(きちんと認識したのは)、
コザにあるデイゴホテルに泊まったときだった。このホテルの目の
前に、威風堂々として「コザ独立国大統領官邸」がある。名前は聞い
たことがあったので、ワタブーショウなる奇妙な音楽(漫談)を後
追いで聞いた。ああ、そういえばポリカイン(水虫薬)のCMに出
ていたなとおぼろげに思い出す。映画「ウンタマギルー」の冒頭の
「ドルドルドン、ドルドルドン、日本復帰はドルドン・・」と唄う
てるりんの声はいつまでも頭に残って繰り返される。同時代的にて
るりんを追いかけていたわけではないが、それでもこの巨人の影響
は見えるところ、見えざるところで、この沖縄では感じられる。

2)
 照屋林助とは何者だろう? 訃報を伝える新聞では、「漫談家」
とも「歌謡漫談家」とも「沖縄音楽界の重鎮」とも紹介されるが、
話芸、唄、自ら開発した電気四線などを駆使するその特異な芸道は、
「沖縄よろず漫芸」「沖縄チャンプラリズムの真髄」という称号に
ふさわしい。オキナワカルチャーアーカイブによると、以下のよう
に紹介されている。

 テルリンがワタブーショーで一世を風靡したのは昭和三〇年代の
こと。沖縄には琉球民謡、アメリカンポップス、本土の歌謡曲とさ
まざまなカルチャーが共存するが、テルリンはそれらをつぎはぎに
し、混ぜ合わせ、パロディー化して独特のお笑い文化を作った。
(オキナワカルチャーアーカイブより)

3)
 わたしがそのステージを観てみたいと思ったときには、すでにて
るりんの病状は思わしくなく、入退院を繰り返していた。下記のて
るりん館紹介では未だ要問い合わせながらもステージの紹介をして
いたので、こちらに住み始めて間もない頃に一度問い合わせたこと
がある。「今は、体調を崩してやっておりません」とのことだった。
てるりんの息子のりんけんバンド林賢氏のサイトによると、2001/08
/29(Wed)の日記ではこの頃はカラハーイ(林賢氏のホームグラウン
ド)でライブをやっていたようだ。

4)
 今や息子林賢氏もある意味では沖縄芸能界では異端でありつづけ
るものの重鎮ともいえるが、わたしは個人的にりんけんバンドのキー
ボードが前面に出た音楽と相性が悪い。それだけにてるりんのステー
ジを一度生で観たかったという後悔が残る。カデリン(嘉手苅林昌)
が逝き、そしててるりんが逝き、ふたりの巨人が去ってしまった。
てるりんの師匠小那覇舞天は、いまや地元石川市のインキュベーショ
ン施設に「石川地域活性化センター舞天館」と冠されるまでになっ
た。やがて、コザでもそういった施設ができるかもしれないし、大
統領官邸がリニューアルされて博物館になるかもしれない。もう一
度、ウンタマギルーを観て、そのポップなセンスを偲びたいと思う。
ご冥福をお祈り申し上げます。

コザ独立国ホームページ
てるりん館 紹介

おきなわいちサイト(旧デジタルあじまぁ)

(短況)
 今週は前半は暖かい小春日和(というより初夏日和)で、久々に
連続で太陽の光を仰いだ気がします。先週末の寒さが嘘のようです。
明日からまた寒くなるということで、もう正直勘弁してほしい気が
します。今週は瀬長島の話題を書こうと準備しておりましたが、急
遽コンテンツを差し替えました。おるた

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Posted by 仲村オルタ at 20:00
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仲村オルタ
職業:書き物一切。
職人のごとくただ書くのみ(としたい)。
公式サイト alt99.net
台湾より沖縄復帰後1年で関西へ。まさかの東京暮らしを経て、流れ流れて今は沖縄暮らし。
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