2015年12月19日

レビュー スター・ウォーズ フォースの覚醒(後半にネタバレあり注意)

 スター・ウォーズの1作目であるエピソード4 新たなる希望を映画館で見たのは、まだ小学生の頃だった。四つ上の兄が好きだった映画に僕ものめり込んだ。映画館で映画を見るようになって、間もない頃のことだ。当時はフィギュアやおもちゃは身近になかったので、ポスターを模写したり、ラジオから録音したカセットテープでテーマ音楽を何度も聞き、気分が高ぶらせたものだ。
 それから、三十年以上のときが過ぎた。
 ああもうこれで最後かと寂しくなったエピソード3からも十年。
 私はどうしてもIMAXで見たかった。できれば公開日の最初の回に見たかった。それが叶っただけでも間違いなく、その瞬間世界でもっとも幸福なひとりだっただろう。
 二十世紀フォックスのファンファーレがないのは寂しいが、シンデレラ城のディズニーロゴもなく、ルーカスフィルムの燦然と輝くロゴにつづき、お約束のメインタイトル。劇場に拍手が響きわたり、身体が熱くなった。
 以下激しくネタバレあり。公開前に情報管理が徹底されたように、あまり予備知識なく見たほうが楽しむことができるので、自己責任でお読みください。

レビュー スター・ウォーズ フォースの覚醒(後半にネタバレあり注意)

 私は(おそらく)筋金入りのファンではないが、スター・ウォーズの世界が再び戻り、それを同時代的に体感するだけで幸福だった。ミレニアムファルコン号が空を、宇宙を飛び回る、ただそれだけで嬉しくなる。この映画は第一作の制作環境に経緯を払い、実撮影のこだわったことが成功したのか、エソード4から6までの画面の質感にとてもよく似ている。その世界を取り戻し、我々にどっぷりと浸かる環境を提示しただけでも、監督JJエイブラムス(彼もまた同世代だ)に最大級の賛辞は送られるだろう。好きな映画かどうかと問われれば、迷いなく好きだと言える。三部作を前提に作られているがゆえに、これでもかというくらいに謎がちりばめられ、次を見るために二年も待たなければならないのかと思うと、かんべんしてよと思うくらい苦痛ではある。
 ただ、一晩たって、この映画のことを振り返ったとき、頭のなかにはひとつの疑念が浮かんだまま、離れない。
 このトリロジーは、新たな予定調和の物語なのか?
 つまり、ダークサイドに落ちた息子カイロ・レンを、両親であるソロとレイアが取り戻す物語なのか、と。
 スター・ウォーズというフレームワークを再現するために、新しい冒険は何も期待できないのか、と。
 プリクェル・トリロジーであるエピソード1から3は、アナキン・スカイウォーカーがダークサイドに落ちる物語であり、エピソード4から6は息子が父親を光であるジェダイへ帰還させる物語だった。前史を描くプリクェル・トリロジーは、ダースベーダーになるという結論がわかっているので、なぜ、どのように、かが焦点となり、展開に驚きはない。ダークサイドのボス、ダース・シディアスも、最初からこの人だなということがわかっている。
 また、時限設定など基本的な物語上のフレームワークでも、旧作(エピソード4や6)と何も変わらない。こんなのはスター・ウォーズじゃないという批判を恐れるあまり、冒険しない完全なスター・ウォーズを無難に作った印象だ。
 ある程度わかっているとはいえ、フォースの覚醒は、あからさまにこのフレームワークを提示したことが、今後の二作の展開に対して不安材料となる。
 一方で、次作に引き継がれた謎は、新しい展開を期待もさせる。
 つまりそれは、
1.フォースが覚醒したレイとルーク・スカイウォーカーの関係は?
2.最高指導者スノークはシスか?
 ということだ。
 1.については、「フォースの覚醒」のなかで、レイのフラッシュ・バックとしてヒントが提示されている。フィギュアまで売り出しているズヴィオ巡査らしきキャラクターが撃たれ、おそらくは幼いレイの泣き叫び声が聞こえる。飛び去っていった宇宙船は、ファルコン号のようにも見える(これは思い過ごしかもしれない)。ラストシーンでふたりはただ見つめ合っただけだ。また、カイロ・レンがレイの思考を読み取ったときの会話からわかるように、レイは確実にこの場面を想起あるいは知っていた。それもヒントかもしれない。
 また、2.については、パルパティーン=ダース・シディアスが暗殺したパルパティーンの師であるダース・プレイガスがスノークではないか、という説がある。これはありうるかもしれない。あの巨大なホログラム姿で次回も登場するのか、シスとしての本領を発揮するのか、中二病とも揶揄される中途半端なカイロ・レンの修行をいかに完成させるのか、これも見ものである。
 今回スター・ウォーズを見終えて改めて感じたのは、この映画が通常の映画体験では感じ得ないほどの圧倒的な影響力を持つものだということだ。ひょっとしたら、JJの最大の貢献は、予定調和の新三部作によってルーカス自身が変更してしまったアナログ感、それに付随するなんだか得体の知れぬ浮揚感を作品に取り戻したことなのではないか。
 この映画の主人公は、レイでもなく、カイロ=レンでもなく、ミレニアム・ファルコンだという指摘がある。たしかにそうだ。CG感満載のナブー・ロイヤルスターシップではこの高揚感は得られない。おそらくはそれがこの映画のすべてかもしれない。

レビュー スター・ウォーズ フォースの覚醒(後半にネタバレあり注意)

 最後に、いまや私以上にSWに登場するキャラクターや乗り物に詳しくなった6歳の息子と一緒にこの映画を見ることが出来たのは、何より幸せな体験であった。これまで、私に関わったすべての皆さんに感謝したい。

  • LINEで送る

同じカテゴリー(映画レビュー)の記事

Posted by 仲村オルタ at 00:49
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

マイアルバム
プロフィール
仲村オルタ
仲村オルタ
職業:書き物一切。
職人のごとくただ書くのみ(としたい)。
公式サイト alt99.net
台湾より沖縄復帰後1年で関西へ。まさかの東京暮らしを経て、流れ流れて今は沖縄暮らし。
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 11人
アクセスカウンタ