2015年04月25日
4月の映画まとめ
4月に入ってよく映画を見ている。いくつか備忘録的に書く。
〈ジュピター〉
ウォシャウスキー姉弟の最新作。〈クラウドアトラス〉のようにプロットでも映像的にも快楽を期待したが、プロットは空回りしてやや残念な結果に。ただ、映画的快楽をもたらすアクションシーンが物語のなかでいかに重要かあらためて気づく。この映画がうまくいかなかったのは、三つ巴、四つ巴の構造があるのにそれが葛藤をうまなかったことだろう。
〈バードマン(あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡)〉
ブラック・スワン+バートン・フィンクという感じ。嫌いな映画ではないが、想像していたほど興奮はしなかった。ラストシークエンスはやや蛇足のような気がしたが、劇場シーンの結末をどう解釈するかで、このエンディングの意味がかわる。長回しはやや技巧的すぎて、長回しという技法だけで快楽を呼び起こすほどではなかった。トゥモローワールドの長回しの興奮度のほうが優れていた。この映画で個人的に一番良かったのは、即興的ドラムスの効果だ。
〈カイト〉
日本アニメーションのハリウッド映画化。途中でオチが見えてしまうのは、元ネタのせいではないかもしれないと思い、もともとのアニメーションDVDをdiscasで調達した。女性主人公の物語に〈99〉が突き抜けるヒントを見ようとしたが、こちらも刺激は期待どおりではなかった。あらためて、主人公の変化が重要だとわかる。拙作〈99〉のマヤ・スプリンスフィールドの変化の落差を明快にせねば。映画を見る行為は、自作の欠点を確認する行為でもあると改めて知る。
〈デュランデュラン アンステージド〉
duran duranのライブをあのdavid lynchが監督したまさかの劇場公開版。duran duranも最近聞いていなかったが、80年代は比較的よく聞いたし、90年代に復活したときのスマッシュヒットordinary worldは名曲だと思うが、もしリンチが監督していなかったら、おそらくは映画館に足を運ばないだろう。duran duranファンは過剰な演出(というか映像のオーバーダビング)を批判していたが、リンチ・フリークとしては、以外にも傑作。リンチのいつもの脳内麻薬があふれる変態ぶりに笑いが込み上げた。劇映画以上に、リンチが影響を受けたと思われる絵画の巨匠フランシス・ベーコンの影響を感じた。duran duranのメンバーもこの結果を期待していただろうし、もしリンチが監督していなかったら、日本の映画館で上映されることもなかったかもしれないので、duran duranファンもあまり尖ることなく見て欲しいと思う。ordinary worldのときになんだか泣けてきた。
〈インヒアレント・ヴァイス〉
ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)の最新作。監督買い監督のひとりなのだが、〈ザ・マスター〉もその前の〈there will be blood〉もあまりピンとこなかったのだが、これは傑作。個人的ツボにはまった。美しいフィックスの絵も長回しも、オフビートな間合いも、突如として現れるコメディシークエンスも抜群(パンケーキシーンは大爆笑だった)。原作者トマス・ピンチョンはいつかは読んでみたいがなかなか敷居の高い作家だったが、これを機にいくつか読んでみようと思った。タイトルの「内在する欠陥」とは保険用語で、対象の性質上避けられない欠陥のこと免責に該当する内容のことだ。男そのものの「内在する欠陥」とはなにか。そう思うと、せつなく、そして哀しい。
〈ジュピター〉
ウォシャウスキー姉弟の最新作。〈クラウドアトラス〉のようにプロットでも映像的にも快楽を期待したが、プロットは空回りしてやや残念な結果に。ただ、映画的快楽をもたらすアクションシーンが物語のなかでいかに重要かあらためて気づく。この映画がうまくいかなかったのは、三つ巴、四つ巴の構造があるのにそれが葛藤をうまなかったことだろう。
〈バードマン(あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡)〉
ブラック・スワン+バートン・フィンクという感じ。嫌いな映画ではないが、想像していたほど興奮はしなかった。ラストシークエンスはやや蛇足のような気がしたが、劇場シーンの結末をどう解釈するかで、このエンディングの意味がかわる。長回しはやや技巧的すぎて、長回しという技法だけで快楽を呼び起こすほどではなかった。トゥモローワールドの長回しの興奮度のほうが優れていた。この映画で個人的に一番良かったのは、即興的ドラムスの効果だ。
〈カイト〉
日本アニメーションのハリウッド映画化。途中でオチが見えてしまうのは、元ネタのせいではないかもしれないと思い、もともとのアニメーションDVDをdiscasで調達した。女性主人公の物語に〈99〉が突き抜けるヒントを見ようとしたが、こちらも刺激は期待どおりではなかった。あらためて、主人公の変化が重要だとわかる。拙作〈99〉のマヤ・スプリンスフィールドの変化の落差を明快にせねば。映画を見る行為は、自作の欠点を確認する行為でもあると改めて知る。
〈デュランデュラン アンステージド〉
duran duranのライブをあのdavid lynchが監督したまさかの劇場公開版。duran duranも最近聞いていなかったが、80年代は比較的よく聞いたし、90年代に復活したときのスマッシュヒットordinary worldは名曲だと思うが、もしリンチが監督していなかったら、おそらくは映画館に足を運ばないだろう。duran duranファンは過剰な演出(というか映像のオーバーダビング)を批判していたが、リンチ・フリークとしては、以外にも傑作。リンチのいつもの脳内麻薬があふれる変態ぶりに笑いが込み上げた。劇映画以上に、リンチが影響を受けたと思われる絵画の巨匠フランシス・ベーコンの影響を感じた。duran duranのメンバーもこの結果を期待していただろうし、もしリンチが監督していなかったら、日本の映画館で上映されることもなかったかもしれないので、duran duranファンもあまり尖ることなく見て欲しいと思う。ordinary worldのときになんだか泣けてきた。
〈インヒアレント・ヴァイス〉
ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)の最新作。監督買い監督のひとりなのだが、〈ザ・マスター〉もその前の〈there will be blood〉もあまりピンとこなかったのだが、これは傑作。個人的ツボにはまった。美しいフィックスの絵も長回しも、オフビートな間合いも、突如として現れるコメディシークエンスも抜群(パンケーキシーンは大爆笑だった)。原作者トマス・ピンチョンはいつかは読んでみたいがなかなか敷居の高い作家だったが、これを機にいくつか読んでみようと思った。タイトルの「内在する欠陥」とは保険用語で、対象の性質上避けられない欠陥のこと免責に該当する内容のことだ。男そのものの「内在する欠陥」とはなにか。そう思うと、せつなく、そして哀しい。
Posted by 仲村オルタ at 22:02