2015年01月24日

シン・シティ 復讐の女神(Sin City: A Dame to Kill For)レビュー

 傑作。誰がなんと言おうと傑作だ。
 2005年に公開されたロドリゲスとフランク・ミラーの傑作ハードボイルド・ノワール映画Sin Cityの、ほぼ10年ぶり(アメリカでは2014公開)の奇跡の続編 Sin City:A Dame to kill for(邦題:シン・シティ 復讐の女神)が公開された。10年ぶりだからか、10年ぶりにもかかわらずか、相変わらず好きなことを好きなように作る。それに徹しているのが清々しく、また羨ましく思う。確かに前作に比べたら構成の妙はないが、続編の話が持ち上がりながら延期を繰り返してきた奇跡の映画ゆえに、倫理観など放置してこの世界に無条件にどっぷりと浸かる。それが至福の時間なのだ。復讐、裏切り、騙し合い、誘惑、ファム・ファタール、暴力、魅力的な女など、ハードボイりルドのすべての要素が此処にある。要するに、僕はハードボイルドが好きなのだろう。

シン・シティ 復讐の女神(Sin City: A Dame to Kill For)レビューシン・シティ 復讐の女神(Sin City: A Dame to Kill For)レビュー

 前作とこの映画では、時系列がバラバラで前作の前日談もあれば、前作の後日談もあり、前作で死んだはずのキャラクターが生き返っているので混乱する。予備知識なく本編を見ると最も混乱するのは、ドワイトを演じた役者がクライヴ・オーウェンからジョシュ・ブローリンに変更されていることだ。役者のタイプが違うので整形した同一人物とは思えない。前作のドワイトのエピソードThe Big Fat Killよりも、本作のドワイトのエピソード(本作のメインエピソードでもある)A Dame to Kill Forのほうが前の出来事のはずだが、片眼の殺し屋マヌートが生き返った(死んでいなかった)のはよいとして、オールドタウンとマーヴとの関係性など、やや違和感を感じるような内容もあった。
 が、そんなことは実に些細なことだ。映画の魅力を損なうものではない(クライヴ・オーウェンは好きな俳優なので出て欲しかったが)。
 本作からの登場ではファム・ファタール エヴァを演じたエヴァ・グリーンが素晴らしかった。
 日本語タイトルについて、「その人のために誰かを殺してもいい女」は訳しにくいので、わかりやすいナンシーのエピソードをタイトルに持ってくるのは仕方ないか。本作の根幹にあるエピソードはエヴァのエピソードだけに、なんとなく寂しい気がした。



 世界の悲惨なニュースを前に、クリエイターは何をつくるべきなのだろう。いつも自問自答している。答えはない。クローネンバーグはかつて「子供の親としては倫理観を重んじる、しかしクリエイターとしては制約はない」というようなことを言った。また、芸人と芸術家の違いを次のように言った。まだ答えは出ない。いずれにしても、クリエイターは作ったものに責任を持たなければならない。ロドリゲスとミラーがどう感じているか聞いてみたい。「そんなふうに考えているようじゃあ、まだまだ甘っちょろいぜ、だってクールだろう」と言われそうだ。

〈芸人は、あなたがまさに望んでいるものを与えてくれる。芸術家は、あなたが今まで欲しいとも思わなかった「何か」をあなたに与えてくれる。それは、知る以前には欲しいとも思わなかったけれど、一度知ってしまったら、次回からは欲しくてたまらない「何か」だ。(デヴィッド・クローネンバーグ)


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Posted by 仲村オルタ at 10:45
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台湾より沖縄復帰後1年で関西へ。まさかの東京暮らしを経て、流れ流れて今は沖縄暮らし。
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