2014年07月07日

世界標準について_映画〈All You Need Is Kill〉考

 トム・クルーズ主演「All You Need Is Kill(英題:Edge of Tomorrow)を観た。日本人ライトノベル・SF作家・桜坂洋氏の原作をハリウッドにて脚色、製作した映画だ。予想以上に刺激的な映画だった。映画を観たあと、コミックを読み、小説を読んで、〈世界標準〉について考えてみた。なぜこの日本原作作品はハリウッドにて映画化されたのか。以下厳密に言えばネタばれあり。

世界標準について_映画〈All You Need Is Kill〉考

(物語:映画.comより引用)戦闘に対して逃げ腰な軍の広報担当官ウィリアム・ケイジ少佐は、戦闘経験が全くないにもかかわらず最前線に送り込まれてしまい、あえなく戦死。しかし、死んだはずのケイジが意識を取り戻すと、周囲の時間は戦闘が始まる前に戻っていた。再び戦死するとまた同じ時間に巻き戻り、不可解なタイムループから抜け出せなくなったケイジは、同様にタイムループの経験を持つ軍最強の女性兵士リタ・ヴラタスキに訓練を施され、次第に戦士として成長していく。戦いと死を何度も繰り返し、経験を積んで戦闘技術を磨きあげていくケイジは、やがてギタイを滅ぼす方法の糸口をつかみはじめる。

 本作はSFのサブジャンルのひとつ「ループもの」である。wikipediaによると、すでに使い古された感のある設定といえるかもしれない。映画では、数年前の「ミッション・8ミニッツ」というものが王道ループものだったし、三十年前の押井守監督の「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」もそうだ。(恒川)光太郎さんの第2短篇集「秋の牢獄」も叙情的で印象深いループものだった。個人的には巨匠手塚治虫の最高傑作「火の鳥」のなかで最も好きなエピソード「異形編」はやられた感の強い話だ。
 使い古された、といわれるアイデアは、そう思われるだけのリスクもあるが、同時に多くの受け手に共通の「何か」を呼び起こす普遍性を持つことを意味する。この「ループもの」に、倒されるたびに強化されるキャラという「ゲーム性」を付加し、物語ができあがった。
 実は個人的には「ゲーム小説」「ゲーム映画」はあまり得意ではない。友人に薦められた貴志祐介氏の「クリムゾンの迷宮」は面白いらしいのだが、前提の説明時点でリタイア。最近でいえば「ハンガー・ゲーム」や、多くのシチュエーション・ホラーと呼ばれるものも苦手で、映画館でもレンタルでも観ていない。それはシチュエーションが特異すぎて、物語世界に入り込めないからだろう。
 ともすれば本作もこの罠に陥るリスクを抱える。だが、一方でJapanCoolの文脈で語られるコミック性はハリウッドに受ける要素でもあり、本作がハリウッドにて映画化された要因のひとつでもあるだろう。
 また、創作者サイドの立場から考えると、どこまで説明が必要か、説明すべきかということが気になるところだ。本作の根幹のアイデアである「なぜループするか」ということを科学的に説明することはできないが、映画では侵略異星人の血液成分に原因があるといい、原作ではタキオンが原因と簡潔に言及する。いっそのこと説明しないほうが一貫性は増すが、幻想的なトーンとなりSFからは離れていくのかもしれない。
 本作はコミック性もSF性もハリウッドエンタテイメント性も比較的バランスよく作られていたように思う。もう少しワクワクするようなガジェットがあってもよかったと思うが。
 韓国映画やポップスがあらかじめ世界市場を意識し、世界標準を考えて作られているように、人口減少が顕著となる前に、これからは日本作家も世界標準を意識した創作が進むのだろうか。あるいはガラパゴスに閉じこもるか。おそらくは「SF」「ゲーム性」「JapanCool」が世界標準での二次創作のキィワードになるだろう。作り手は市場を意識しすぎてはならないが、市場で流通しなければ作品として価値が保ちえないのもまた真である。

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Posted by 仲村オルタ at 12:42
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