2013年11月01日
BEAT CHILD
BEAT CHILD の記録映画を観た。
いまや伝説となったライブ・イベントであり、八十年代後半のあの空気を感じられるだけでも見る価値はある。個人的にはそれ以上に感慨深い。懐かしくて、切なくて、胸がつぶれそうになる。
そう、僕もあの最高で最悪の夜に阿蘇山のふもとであのイベントに参加していたのだ。
BEAT CHILDとは、1987年8月27日に阿蘇山のふもとのアスペクタ野外劇場で行われたオールナイト・ロックフェスティバルだ。
当時(も今も)僕が心酔していた佐野元春、BOOWY、ブルーハーツ、尾崎豊、ハウンド・ドッグ、ストリートスライダーズらロックバンドが出演した。主催者発表で7.2万人が参加。18時開始の翌朝6時終演予定。美しい阿蘇のふもとで繰り広げられる一夜の美しい夢。そのはずだったのだが、会場は開始前から洪水のように降る豪雨と雷にみまわれ、まさに修羅場と化す。
そう、まさにそれは嵐だった。堰を切ったように空からは絶え間なく強い雨が降り注ぐ。逃げ場はない。十分な雨具もない。ろくに身動きもできない。電車に乗って帰るわけにもいかない。そこは山奥で、我々のまわりには無慈悲な自然しかないのだ。
今の警備基準なら、おそらくどこかの時点で中止になっただろう。五百人を超える観客が救護所に運ばれたという。死者がひとりもでなかったこと自体が奇跡だ。
僕は当時京都で暮らす大学生だった。その頃交際していた彼女と一緒に出かけたのだ。楽しみにしていたその夏一番のイベントだったはずなのに、寒さに震え、断続的に襲ってくる眠気のなかで、なんで此処にいるのだろう、いつになったら雨が上がるのだろう、朝が明けるのだろうとばかり考えていた。明けない夜はない。醒めない夢はない。フラフラになった彼女を支え、僕自身を奮い立たせ、ただ朝が来るのを待った。
そんな過酷な状況のなかでも、秀逸なロックパフォーマンスがいくつもあった。なかでも中盤の深夜0時くらいに現れたBOOWYのシンプルだが強いビートとギターには心が震えた。また、映画でもハイライトになっていたアコギ一本で唄いあげた尾崎豊の「シェリー」。雨だか、涙だか、なんだかわからないもので顔をくしゃくしゃにしながら、呆然とその場に立ち尽くした。
そして大トリに我が師匠・佐野元春が登場した。空が白みかけている。驚くことに、それまでの豪雨が嘘のように雨が上がった。明けない夜はない。醒めない夢はない。あの日あの場所に居たものだけが体験した、美しい夜明けとともに訪れた奇跡の瞬間だった。
ライヴが終わり、明けた朝、僕と彼女は長い列を待ってバスに乗り山を降りて、名前も忘れた温泉街の温泉のない民宿に部屋を借りた。まだ午前中だったが、運良く部屋を使うことが出来た。タオルで身体を拭い、冷えた身体を温めた。BEATCHILDのことを思い出すと、一番に思い出すのはどういうわけかあのときの彼女の冷えた身体だ。
今思えば、あの日あの夜を境に多くのものごとが変わってしまった気がする。結果論にすぎないが、日本のロックはあの日を最後に輝きを失いはじめた(いまではダンスミュージックばかりだ)。永遠だと思っていたものも、今は多くを失っている。ときどき言いようのない後悔と懺悔の念にとらわれる。僕は今何をしているのだろう。あの日あの場所に居た僕は、果たして今此処にいる僕と同じ僕だろうか。
だが、あの雨の感触と心の震えと冷えた身体の記憶は失うことはない。それはあの過酷な夜に刻まれた永遠に美しい夢。確かに多くのものを失ったが、消えることのない仄かな灯火を今も胸の奥に感じる。だからせつない。だから苦しいのだ。
ベイビィ、大丈夫か? 映画はクドいまでにそれを問う。あの日の出来事を忘れてはいないか? あの日何を失い、何を得たかを忘れてはいないか。
映画「ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987」公式サイト
いまや伝説となったライブ・イベントであり、八十年代後半のあの空気を感じられるだけでも見る価値はある。個人的にはそれ以上に感慨深い。懐かしくて、切なくて、胸がつぶれそうになる。
そう、僕もあの最高で最悪の夜に阿蘇山のふもとであのイベントに参加していたのだ。
BEAT CHILDとは、1987年8月27日に阿蘇山のふもとのアスペクタ野外劇場で行われたオールナイト・ロックフェスティバルだ。
当時(も今も)僕が心酔していた佐野元春、BOOWY、ブルーハーツ、尾崎豊、ハウンド・ドッグ、ストリートスライダーズらロックバンドが出演した。主催者発表で7.2万人が参加。18時開始の翌朝6時終演予定。美しい阿蘇のふもとで繰り広げられる一夜の美しい夢。そのはずだったのだが、会場は開始前から洪水のように降る豪雨と雷にみまわれ、まさに修羅場と化す。
そう、まさにそれは嵐だった。堰を切ったように空からは絶え間なく強い雨が降り注ぐ。逃げ場はない。十分な雨具もない。ろくに身動きもできない。電車に乗って帰るわけにもいかない。そこは山奥で、我々のまわりには無慈悲な自然しかないのだ。
今の警備基準なら、おそらくどこかの時点で中止になっただろう。五百人を超える観客が救護所に運ばれたという。死者がひとりもでなかったこと自体が奇跡だ。
僕は当時京都で暮らす大学生だった。その頃交際していた彼女と一緒に出かけたのだ。楽しみにしていたその夏一番のイベントだったはずなのに、寒さに震え、断続的に襲ってくる眠気のなかで、なんで此処にいるのだろう、いつになったら雨が上がるのだろう、朝が明けるのだろうとばかり考えていた。明けない夜はない。醒めない夢はない。フラフラになった彼女を支え、僕自身を奮い立たせ、ただ朝が来るのを待った。
そんな過酷な状況のなかでも、秀逸なロックパフォーマンスがいくつもあった。なかでも中盤の深夜0時くらいに現れたBOOWYのシンプルだが強いビートとギターには心が震えた。また、映画でもハイライトになっていたアコギ一本で唄いあげた尾崎豊の「シェリー」。雨だか、涙だか、なんだかわからないもので顔をくしゃくしゃにしながら、呆然とその場に立ち尽くした。
そして大トリに我が師匠・佐野元春が登場した。空が白みかけている。驚くことに、それまでの豪雨が嘘のように雨が上がった。明けない夜はない。醒めない夢はない。あの日あの場所に居たものだけが体験した、美しい夜明けとともに訪れた奇跡の瞬間だった。
ライヴが終わり、明けた朝、僕と彼女は長い列を待ってバスに乗り山を降りて、名前も忘れた温泉街の温泉のない民宿に部屋を借りた。まだ午前中だったが、運良く部屋を使うことが出来た。タオルで身体を拭い、冷えた身体を温めた。BEATCHILDのことを思い出すと、一番に思い出すのはどういうわけかあのときの彼女の冷えた身体だ。
今思えば、あの日あの夜を境に多くのものごとが変わってしまった気がする。結果論にすぎないが、日本のロックはあの日を最後に輝きを失いはじめた(いまではダンスミュージックばかりだ)。永遠だと思っていたものも、今は多くを失っている。ときどき言いようのない後悔と懺悔の念にとらわれる。僕は今何をしているのだろう。あの日あの場所に居た僕は、果たして今此処にいる僕と同じ僕だろうか。
だが、あの雨の感触と心の震えと冷えた身体の記憶は失うことはない。それはあの過酷な夜に刻まれた永遠に美しい夢。確かに多くのものを失ったが、消えることのない仄かな灯火を今も胸の奥に感じる。だからせつない。だから苦しいのだ。
ベイビィ、大丈夫か? 映画はクドいまでにそれを問う。あの日の出来事を忘れてはいないか? あの日何を失い、何を得たかを忘れてはいないか。
映画「ベイビー大丈夫かっ BEATCHILD1987」公式サイト
Posted by 仲村オルタ at 23:15