2011年01月19日

The Social Network

 デヴィッド・フィンチャーの最新作は、Facebookの創設者マーク・ザッカーバーグの起業黎明期から現在までの実際に起こった出来事をモデルに、創作を交えてドラマ化した本作である。個人的には、「ファイト・クラブ」以来、監督買いをしてきた監督である。奇妙なカットや、あっと思わせるカッティングを得意としているとされるのだが、正直なところ、前作「ベンジャミン・バトン」はあまり興味が続かなかった。映像美ではなく、人間ドラマを描こうとしたのだろうが、あまりにも設定が特異すぎて、主人公の悲哀に共鳴することができなかったのがその理由だ。
 その点、本作は見事な人間ドラマに昇華している。ある意味、デヴィッド・フィンチャーらしくない。唐突に途中から時系列が前後しはじめるが、これは脚本の妙だろう。実在の人物を中傷するのでもなく、賛美するのでもなく、おそらくは実在した第3者との関わりでどのような変化が生じたのか、なにを得て、なにを失ったのかを描き出した。アカデミーの前哨戦ゴールデングローブ賞で結果を残したことで、アカデミー賞作品賞、監督賞最有力候補となった。
 映画としての評価以外に、この物語は個人的に考えさせる部分が多かった。まずは、マーク・ザッカーバーグという人物が偉大な経営者ではなく、ユーザー指向で自分のほしいサービスを自分で作ることができる優秀な技術者であったということだ。ソーシャルネットワークそのものはfacebookが最初ではないが、欲しい者を誰に頼むこともなく彼は自分で作り得た。文字通りひとりですべてを作り上げることができる人物だったわけだ。アイデアを盗んだと訴えたウィンクルボス兄弟との差だろう(それでも兄弟は和解金数十億円+facebook株式を得た)。
 もうひとつ、彼を支えたり、彼を方向づける人物がよいタイミングで次々と現れた運の強さだ。黎明期に、音楽ファイル共有サービス・ナップスターに関わった伝説の起業家ショーン・パーカーに出会い、「ミリオンではなくビリオンを目指せ「午後11時にパーティーを終わらせるな」などと熱く語るショーンにすっかり魅了される。彼が居たからこそ、マネタイズと資金調達のアイデアが乏しかったと思われる技術者マークは、巨大ビジネス化と最年少億万長者への道を歩み始めたといえる。

The Social Network

 映画を見たあと、数日が経っているが、今も映画の台詞のいくつかを思い出そうとネットサーフィンをしている。過剰な台詞のうちに、いくつも印象的な台詞があるのだが、そのどれもが自分自身の人生に影響を与えるのではないかと思えてしまうところに、此の映画の真の魅力がある。傑作だ。

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Posted by 仲村オルタ at 23:17
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