うみんちゅのおじいのこと
本部町で80年間漁師一筋を貫いたおじいが、先月漁に出た船で倒れ、そのまま病院で亡くなった。92歳だった。「アギヤー」と呼ばれるひとり追い込み漁にこだわり、80を過ぎてなお、現役漁師だったおじい。かつて僕もその生きざまに心酔し、ペンネームを決めるにあたり、おじいの名字を(勝手に)頂いた。一緒に漁に出させて貰うというような、無理なお願いをしたこともある。おじいは既に80を越えていたが、その動きは機敏で力強く、フィンをつけぬおじいにフィン付きの僕はまったく付いていけなかった。陸にあがったおじいはいつも優しかった。深く刻み込まれた皺と艶やかに灼けた肌。そのすべてが格好良かった。
おじいはどうして80年も現役漁師を続けていられたのだろう。かつて訊ねると、「わたしには海を歩くことしかできんから」と控えめに言った。それを聞いて僕は、頭が下がる思いだった。僕の人生はどこまで中途半端なのだろう。船の上で倒れ、うみんちゅ人生を全うしたおじいは、確かに幸せなのかもしれない。だが、同じことを80年もの長い間続けることは簡単なことではない。
台湾から沖縄に戻ってきて何度かおじいのことを考えていた。訃報は新聞で知った。午後からカタギ仕事を休み、本部町まで1時間30分あまり車を走らせて駆けつけた。
おじいの葬儀は、大勢の人々で溢れかえっていた。島唄の流れる葬儀場には哀しいムードはない。遺影の写真も、船の上で漁をするおじいの雄姿だった。僕はおじいに感謝し、もう一度気合いを入れる。会場には、僕がおじいを知るきっかけとなったayaさんの写真が飾られ、ポストカードが配られていた。
おじい、ありがとう。僕は足下にも及ばないけれど、もう少し頑張ります。
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