2012年03月20日

満月に吠えろ、この歌をとめるな

 音楽に対して保守的になるつもりは毛頭ないのだが、年を重ねるごとに、だんだん新しい人を聴かなくなっていくのもまた事実だ。かつてよく聴いたアーティストの新作ばかり聴くようになる。
 また、ベストヒットUSAにアヴリル・ラヴィーンがゲストででていたときに、小林克也とともに、「最近のチャートはダンスミュージックばかりでロックがない」と嘆いていたが、確かにそうだなと僕も激しく同意した。オルタナティブやインダストリアルを聴くようになったのは、たぶん三十後半からだろうが、自分のなかでの知らず知らずのうちに音楽が保守化することへの本能的な抵抗だったのかもしれない。
 チャットモンチーというバンドはそのインパクトある名前から知っていたが、これまで聴いたことはなかった。
 なんかの機会に偶然見た「満月に吠えろ」のPVに引き込まれ、音楽を聴き、歌詞に涙する。まだまだ、日本のロックも捨てたものじゃない。最近(といっても10年ほど前だろうか)ではくるりの「ロックンロール」を初めて聴いたときのような衝撃が走った。意志と魂と力に満ちたこんなロックを、若い世代にも聴くチャンスがあるなら、おそらくは新しい世代にもきちんとした耳と精神が育つだろう。


 
荷物を乗せて走り出す 夜は永いだろう
目の前飛び出た丸顔の月
さまよう旅人おどかして 過去のメダル気取り

きみは何を感じてる? 大丈夫はもう誰も言わない
だから行くんだろ 行くんだろ

満月に吠えろ 隠したその牙で
満月に吠えろ 悲しみ越えてゆけ
満月に吠えろ この歌をとめるな

噂のように駆け抜ける 朝はまだ来ないだろう
目の前広がる顔のない空
さまよう旅人気がついて 残ったメダル飲み込んだ

きみは何を信じてる? 変わらないはもう誰も言わない
だからもういいよ もういいよ

満月に吠えろ 転がる石になれ
満月に吠えろ まだ見ぬその先へ
満月に吠えろ この歌をとめるな
(チャットモンチー「満月に吠えろ」 作詞:福岡晃子)


MangetsuniHoero 投稿者 Bored4Lyfe

 この歌を聴いて、そろそろ俺ももう一度動かなければ、と強く感じた。4月にリスタートだ。  

Posted by 仲村オルタ at 06:32

2011年12月31日

2011年極私的映画ベスト5

 個人的には毎年続けている映画ランキングである。2010年12月~2011年11月公開の映画を対象に、あくまでも個人的に面白いもの、よいものをランキングしてみた。映画も、美術も、小説も、おもしろいかおもしろくないしかない。それが持論だ。
 総じて言えば、監督買いする作品はあまりはずれがなく、期待してついつい見てしまった大作(パイレーツ、トランスフォーマー、猿の惑星など)が期待はずれだった。

第5位 ツリー・オブ・ライフ(監督:テレンス・マリック)

 78年「天国の日々」でカンヌ監督賞をとって以来、30年あまりで3本しか監督していない(でも仕事を続けていられる)珍しい寡作監督テレンス・マリックの新作。物語を語ることを放棄しており、ほんとうに交響曲のコンサートにきているかの気分になる。映画にしかできない芸術だと感じた。自分の立場におきかえて物語を読み解こうともしてみたが、それについてはあまり響かなかった。カンヌ映画祭パルムドール受賞。

第4位 127時間(監督:ダニー・ボイル)

 スラムドッグ・ミリオネア後のダニー・ボイルの新作。グランド・キャニオンでひとり岩に手を挟まれた男の127時間の物語だ。実話に基づいている。この映画をみて、人生とはささいな誤った判断でかくも劇的に動いてしまうものだ、と改めて思った。個人的にも、ひょっとしたら今こんな映画レビューなどしておられなかったかもしれない、というささいな誤った判断が過去にいくつもあった。人間は学ばなければならない。でも、同時に学ぶことができないのもまた人間なのだ。
http://movies2.foxjapan.com/127hours/

第3位 ソーシャル・ネットワーク(監督:デヴィッド・フィンチャー)

Facebook創設者マーク・ザッカーバーグをモデルにした物語。実在の人物を中傷するのでもなく、賛美するのでもなく、おそらくは実在した第3者との関わりでどのような変化が生じたのか、なにを得て、なにを失ったのかを描き出した。この1年間でFacebookは日本でも代表的なSNSとなった。使ってみると随所によくできたシステムだなと思わせるアイデアが溢れている。オスカーは逃したが、オスカー監督賞にも値するデヴィッド・フィンチャーのいい仕事だ。
http://bd-dvd.sonypictures.jp/thesocialnetwork/

第2位 コンテイジョン(監督:スティーブン・ソダーバーグ)

 未知なるウィルスによるパンデミックを描いたソダーバーグの群像劇。今更ながら感たっぷりのテーマを、驚くほど冷徹に、ドキュメンタリーでも撮るように、それでいて恐怖映画のように撮りあげた。監督でありながら、自分で撮影もするハリウッドでは唯一の監督だが、こんな芸当はソダーバーグにしかできない。ソダーバーグゆえに結集したものすごい俳優人も、さすがだなと思う演技をする。世界一贅沢でわがままで才能溢れる職人的な監督がつくる完璧なパンデミック群像劇だ。
http://wwws.warnerbros.co.jp/contagion/index.html

第1位 キック・アス(監督:マシュー・ヴォーン)

 監督買い作品を押しのけ今年のベストフィルムとなったのは、アメコミ映画原作のキック・アス。日本では2010年12月に、沖縄では2011年3月に公開された。おばか映画に思えて、ストーリーもよく出来ている。安心して観にいくと、これでもかとばかりに残酷で驚く。この映画は倫理的にはまったくお奨めできないが、とにかく面白い。過去のアメコミ映画をリスペクトしながら、ソーシャル時代の新しいヒーロー像を脱力感たっぷりに作り上げた。ヒット・ガール役でブレイクしたクロエ・グレース・モレッツは本当にすばらしい。この映画で一躍メジャー監督の仲間入りをするチケットを手に入れたマシュー・ヴォーンは、メジャー映画「Xメン:ファーストジェネレーション」を撮った。ブライアン・シンガー版Xメンのファンの僕はもちろん期待して観にいったが、こちらは物語そのものが説明的すぎて面白くなかったためか、映画的興奮が少なかった。やはり、良い映画はまず良い脚本、そして良い監督に俳優、ということなんだろうと思う。
http://www.kick-ass.jp/index.html

 2012年は、極私的にはものすごく来たいするバットマン新作「ダークナイト・ライジング(The Darkknight Rises)」が公開される。ああ、自分はアメコミものがすきなんだな改めて思う。  

Posted by 仲村オルタ at 18:18

2011年12月22日

Beam Painting in イルミナイト万博 X'mas

太郎さんの代表作のひとつである「太陽の塔」。その壁面を利用したビーム・ペインティングイベントが万博公園で開催されたので、もちろん出かけた。




 素晴らしい。美しく、ユーモラスであり、太郎さんをきちんとリスペクトしている。太陽の塔そのものを映像で破壊し、また新たな太陽の塔が生まれる。生命の樹を再現する。正面の太陽をサンタクロースに変え、トナカイに変え、橇を滑らし、最後には花火を打ち上げる。

 全編が産経新聞投稿のyoutubeにアップロードされているので、シェアしてみます。いま、大阪に住んでいて、ライブでこの体験をできることを感謝します。

  

Posted by 仲村オルタ at 23:00

2011年10月12日

猿の惑星:創世記

 僕はリアルタイムな猿の惑星四部作世代ではない(どちらかというと、日本版二番煎じの猿の軍団世代である)。が、まだ小学生くらいでみた猿の惑星のあの衝撃のラストははっきりと覚えている。映画史上、傑出したラストシーンのひとつではないだろうか。ティム・バートン版もみたが、ほとんど覚えていない。ティム・バートンという監督は好きだが、猿の惑星では、作りたいものを作ろうとしているのか、大作にしたいのか中途半端で、消化不良だったと思う。
 新しい猿の惑星は、はやりのゼロもの。なぜ、猿の惑星となったかということを説明している。随分評判がよいので、さっそく見に行ってきた。
(以下厳密に言えばネタばれあり)

 結果は個人的には惨敗。ただの説明にしか思えない。映画的興奮がほとんどない。映画的カタルシスも葛藤もない。猿のすばらしい動きというのは、別に映画的な進化というわけでもない。美しいインド人女優(どこかでみたかと思っていたら、スラムドッグ・ミリオネアだ!)は、物語の終盤で姿を消し、そのままでてこない。科学者と猿の友情も葛藤も対立も和解もない。強いていえば人間の愚かさを描く風刺性はあるが、好奇心と悪意なき悪意によって不幸が訪れるというものは、考えてみればジュラシック・パークとなにも変わらない(話はそれるが、ジュラシック・パークのTレックス登場シーンはものすごい映画的興奮に満ちていた)。おそらく次回作が作られるのだろうが、また説明を続けるというのだろうか。
 映画は映画的興奮に満ちているべきだ。そう改めて感じさせられた映画だった。  

Posted by 仲村オルタ at 23:25

2011年07月18日

日本サッカーの未来

 気がつけば半年あまり、島ブロ小から遠のいている。一時的ではあるが、島から離れ、今は暑い暑い関西にいる。思えば、アジアカップ以来遠のいたこのブログを、同じサッカーの、しかも世界一という素晴らしいニュースで再開できることは嬉しい限りだ。
 なでしこジャパンの試合はほんとうに素晴らしかった。先行され(しかも後半23分に)、追いつき、また突き放され(しかも延長前半終了間際に)、追いついて、PK戦での勝利。終始押し込まれていた今日の試合で、勝つ形というのはこの120分間+αの展開しかなかったのだろうと思う。普段注目されずとも、お金にならなくとも、ただ好きであるという理由だけで、彼女たちはサッカーをしている。素晴らしいじゃないか。本当によかった。おめでとう。



 今朝の試合に、ひょっとしたら男子サッカーにも同じ瞬間が来るのではないかという可能性を見た。それも、そう遠くない将来に。
 それが、この喜びの熱によるものでないことを願いたい。  

Posted by 仲村オルタ at 17:48

2011年01月30日

シンプルだが強い信念

 ドーハの悲劇といえば、もう17年も前の1993年秋に、ワールドカップアメリカ大会予選の終了間際にイラクに追いつかれて、本選出場を逃したことを言う。僕はそれを大阪から高知行きのフェリーのなかで観ていた。ほかの乗客に頼んで、チャネルを替えてもらったことを今でも思い出す。サッカーをみて熱狂し、そして落胆したのはあれが初めてだったかもしれない。
 そのドーハで行われたアジアカップ2011カタールは、見事に日本チームが優勝して幕を閉じた。長谷部のキャプテンシーを感じたシリア戦以後、大量点を取ったサウジ戦を除いては、どの試合も厳しい試合ばかりだった。開催国カタール戦の数的不利な状況での逆転、終了間際に追いつかれおそらくは集中力が切れそうになったはずの準決勝韓国戦、そしてボールの転がり方が少しでも変わっていたなら、3-0くらいで負けていたかもしれないはずのオーストラリア戦。どれも激闘で、他を圧倒するほどの力を今の日本チームは持っていない。
 しかし、だ。
 このチームはこれまでになく強いと感じられる「何か」がある。それは、負けないと思わせる何かだ。本田流に言えば、「もっている」ということなのだろうが、確かにそう思える何かがある。このチームは、確かに本田、香川、長友などタレントがこれまでよりも充実しているが、それでも彼らではない選手が途中から出てきてヒーローになる。中田英の登場以来良くも悪くもとらわれていた、傑出したタレントとそこから生み出されるワンプレイに依存するサッカーからの完全脱却を果たした。
 その片鱗は既に南アフリカワールドカップから現れてはいたのだが、イタリア人監督ザッケローニは更にそれを進化させた。
 ザッケローニ・ジャパンが次のステージを目指すうえで必要だったのは、何よりも南アフリカ・ワールドカップの成果の否定だった。それは、自分たちより強いと想定する相手に対して守備的に展開し、逆襲するサッカーからの脱却だ。これを続けている限り、世界のトップ20には入れない。そう自覚することからのスタートだった。もしも、日本代表が世界のトップ20の常連化する時代が来るなら、少なくともこの大会は「次に何を目指すのか、どうすればそれが得られるのか」を選手が自覚するエポックメイキングな大会となったかもしれない。

 それよりも何よりも強く感じたのは、ザッケローニの采配、強運そしてそれを支える、あるいはそれに裏打ちされる「自分を選んだメンバーへの信頼」だ。この大会を通じて、選手を腐らせてしまいかねない選手交代は絶対にしなかった。
 象徴的なのは、ゴールキーパー川島の扱いだ。ベルギー移籍後からこの大会に入るまで、この大会でもグループリーグ1戦目でどちらかというと精細を欠く印象(おそらくはそれは印象という言葉が適切だと思うが)を与え、2戦目で不運な退場をしたあと、控えゴールキーパー西川がきわめて安定したプレイをしたため、決勝リーグは「西川」という選択もあったはずだ。ましてや、決勝トーナメント第1戦カタール戦で吉田退場後、致命的なミスを犯したために、少なくとも韓国戦以降は「西川」という選択はあった。しかし、ザッケローニはそれをしなかった。結果論を言えば、韓国戦とオーストラリア戦は川島の活躍なしにはあり得なかった勝利だ。
 ほかにも同じ議論は、第1、2戦で活躍できなかったFW前田やカタール戦で不用意なファウルを犯し絶体絶命状況をつくってしまった吉田にもあてはまる。しかし、ザッケローニはそのような交代はしなかった。これまでの日本チームでは、こうしたこだわりがどちらかというと裏目に出るケースが多く、マスコミも我々ファンもすぐに交代だとムードをつくってしまう。しかし、ザッケローニはそれをしなかった。彼自身がインタビューで「私は日本語が読めないから、川島が日本のマスコミにたたかれていたことを知らない」と一笑に付したが、これはよほどの信念がないと出来ないことだ。シンプルだが、強い信念。それが強運を呼び込む。



 大会のMVP本田に異論がないが、実は長友の活躍がなければこの優勝はありえなかったと思うサポーターは多いだろう。決勝戦でザッケローニは、香川の代役・藤本のアウト、DF岩政インという勝負采配に出た。これにより、長友が活性化した。本人もスイッチが入ったと言っていた。しかし、すでに100分あまり走り回り、あの1対1、あの正確なクロスをあげる長友は、確かにすごい。それゆえに、この大会のもう一枚は長友とザッケローニが抱き合う写真を選択した。



 もちろんあとの一枚は、この長谷部の写真だ。次のステージはもうすぐ目の前にある。満足感よりも期待感をつのらせる3週間あまりの大会が終わった。カタール・ドーハの地で、カップを高々と掲げるキャプテン長谷部の姿を見ながら、ドーハの悲劇は完全に払拭されたことを強く感じた。
  

Posted by 仲村オルタ at 17:24

2011年01月19日

The Social Network

 デヴィッド・フィンチャーの最新作は、Facebookの創設者マーク・ザッカーバーグの起業黎明期から現在までの実際に起こった出来事をモデルに、創作を交えてドラマ化した本作である。個人的には、「ファイト・クラブ」以来、監督買いをしてきた監督である。奇妙なカットや、あっと思わせるカッティングを得意としているとされるのだが、正直なところ、前作「ベンジャミン・バトン」はあまり興味が続かなかった。映像美ではなく、人間ドラマを描こうとしたのだろうが、あまりにも設定が特異すぎて、主人公の悲哀に共鳴することができなかったのがその理由だ。
 その点、本作は見事な人間ドラマに昇華している。ある意味、デヴィッド・フィンチャーらしくない。唐突に途中から時系列が前後しはじめるが、これは脚本の妙だろう。実在の人物を中傷するのでもなく、賛美するのでもなく、おそらくは実在した第3者との関わりでどのような変化が生じたのか、なにを得て、なにを失ったのかを描き出した。アカデミーの前哨戦ゴールデングローブ賞で結果を残したことで、アカデミー賞作品賞、監督賞最有力候補となった。
 映画としての評価以外に、この物語は個人的に考えさせる部分が多かった。まずは、マーク・ザッカーバーグという人物が偉大な経営者ではなく、ユーザー指向で自分のほしいサービスを自分で作ることができる優秀な技術者であったということだ。ソーシャルネットワークそのものはfacebookが最初ではないが、欲しい者を誰に頼むこともなく彼は自分で作り得た。文字通りひとりですべてを作り上げることができる人物だったわけだ。アイデアを盗んだと訴えたウィンクルボス兄弟との差だろう(それでも兄弟は和解金数十億円+facebook株式を得た)。
 もうひとつ、彼を支えたり、彼を方向づける人物がよいタイミングで次々と現れた運の強さだ。黎明期に、音楽ファイル共有サービス・ナップスターに関わった伝説の起業家ショーン・パーカーに出会い、「ミリオンではなくビリオンを目指せ「午後11時にパーティーを終わらせるな」などと熱く語るショーンにすっかり魅了される。彼が居たからこそ、マネタイズと資金調達のアイデアが乏しかったと思われる技術者マークは、巨大ビジネス化と最年少億万長者への道を歩み始めたといえる。



 映画を見たあと、数日が経っているが、今も映画の台詞のいくつかを思い出そうとネットサーフィンをしている。過剰な台詞のうちに、いくつも印象的な台詞があるのだが、そのどれもが自分自身の人生に影響を与えるのではないかと思えてしまうところに、此の映画の真の魅力がある。傑作だ。  

Posted by 仲村オルタ at 23:17

2011年01月16日

キャプテンシー

 高校時代、ラグビー部でキャプテンだった僕はよく「キャプテンシー」という言葉を耳にした。キャプテンらしくプレイし、キャプテンらしくチームを統率する。結論的に言えば、僕はキャプテンの責務を十分に果たしたとは言えない。怪我も多かったし、結局自分を殺して、チームを統率する方法論をつきつめることもなかった。気迫さえあれば、チームは自ずと付いてくるのだと勘違いしていたと思う。
 アジアカップ2011カタールのグループリーグ第2戦、シリア戦を見た。夜中に行われた試合としては、アドレナリン噴出のおさまらぬ、(結果的には)起きていて後悔しない試合だった。少なくとも1戦目よりは格段にチームもよくなった。fifaランク100位そこそこのチームに苦戦することがどんなものか、という評価はもちろん必要だ。だが、ここではそれを置いておこう。
 先制点のゴールは素晴らしかった。本田、香川、松井というタレントがかみ合い、長谷部がたたき込んだ。
 このときも長谷部はまずはじめに、バックスタンド側でアップしていた控え選手のところへ行って、チームを鼓舞した。このときも、ああすごいな、いいキャプテンだな、と思ったものだ。
 しかし、長谷部のキャプテンシーを感じたのは、なんといっても川島退場を招いた疑惑の判定時だった。解説の松木氏をして「なんなんすか、これは?」と言わしめたあのプレイは、やはりどう考えてもオフサイドだろう。チームは混乱し、我も我もと主審(イラン人)や線審に詰め寄る。そのなかで長谷部も、チームを抑えつつ抗議をしていたが、それでもすぐには事態は落ち着かなかった。それもそうだ。もしこの試合を引き分けたら、自力で決勝トーナメントへ進む可能性がなくなるのだ。
 結局、川島は退場となり、シリアにペナルティーキックが与えられる。
 その直後だ。審判に腰にそっと手をやり話をする長谷部の姿をとらえた。最後には笑みをこぼすのだが、つられたように審判も笑った。その笑みをカメラはとらえていた。
 シリアはPKを決めるが、その約五分後、岡崎がペナルティエリアで(うまく)倒され、PKを獲得する。それを持ってる男本田が決めて、日本は結果的に勝った。
 もしも川島退場時に一方的に審判に抗議し、審判に不快な思いだけを持たせていたら、あのファウルはファウルとなっただろうか。もとはといえば自身の不用意なバックパスが招いた惨事とはいえ、審判と落ち着いて談笑する長谷川の姿は、キャプテンとしてゲームの流れを呼び込むために必要な行為だった。僕は感動すら覚えた。8年前のアジアカップでも、冷静にpkのゴールサイド変更を申し出た当時のキャプテン宮本のことが話題になったが、あれ以来のキャプテンたるキャプテンを見たような気がする。ワールドカップでもキャプテンだったが、さらにもう一世代引き継ぐことを自覚し、更に成長したような気がする。
 もしも、この先どこかで躓き、たとえアジアカップが取れなかったとしても、長谷川という真のキャプテンを得たことは、次のワールドカップに向けて大きな収穫だろう。キャプテンシーというのは周りの選手が認めてこそはじめてキャプテンシーとなるからだ。アジアカップ獲得まであと(最大)4試合。「このままでは取れる気がしない」と試合後長谷部自身は語っていたが、長谷部がカップを手にして、高く掲げる姿を強くイメージし、残りの試合を精一杯応援しようと思う。




  

Posted by 仲村オルタ at 18:47

2010年12月26日

M1ラストイヤー

 M1ラストイヤーが終わった。ぱちもん関西人の僕としては、毎年けっこう楽しみにしていた番組だ。古めかしいスタイルや、言葉遊びはあまり好みじゃない。浅草系はやはりあまり好みじゃない。笑い飯はおととしまで好みのスタイルではなく、あまり笑えなかったが、去年の「鳥人」は確かに面白かったので今年は期待していた。また、それを外すのも彼らの芸技だろう。
 結果的に笑い飯の優勝で終わった。個人的には、沖縄出身という贔屓目をぬいても、少なくとも二本目のネタに関しては、スリムクラブが一位だった。最終決戦の順位であまり外したことはないのだが、今回はラストイヤーといういうことと、功労賞ということが作用したのだろうが、最後こそ本当に面白い一組が選ばれてもよかったのではないか。そう思ったM1ファンは少なくないはずだ。笑い飯も去年の鳥人に、二本目が今年のサンタウロスだったら文句なしだったろうか。
 だが、少なくともスリムクラブは今年の顔になった。今日はじめて見たのだが、沖縄のみならず、全国的なさらなる活躍を期待したい。
それにしても年末にM1がないのはちょっと寂しい。普段からそれほどお笑番組を見るわけじゃないのだが。


  

Posted by 仲村オルタ at 23:06

2010年12月23日

ノルウェイの森



 正確にはこれはレビューではない。原作ファンのひとつの感想にすぎないかもしれない。ハタチそこそこで原作を読んで以来、何度も何度も読んでいる(こうるさい)ファンにとっては、どんな解釈もどんな映像もパーフェクトでありうるはずがない。その前提で書いてみる。
(以下厳密に言えばネタバレあり)

 原作を脚本化する際に、省略が必要となる。それはやむを得ないのだが、どうして原作で印象的なエピソードをカットしてしまったのか。たとえば、火事見物のキス。たとえばキウリ。たとえばレイコとワタナベのふたりきりのお葬式。と思えば、特定のエピソードだけ、過剰に意味づけされている。たとえば、ラスト近くの、レイコとワタナベの行為について。全体的には原作を読んでいないとわからないほど淡々とストーリーが流れているのに、ここだけが過剰に意味づけられているのは、ここを特に強く主張したいか、この行為の(宗教的に、あるいは習慣的に、観念的に)意味づけをしないことには納得しないかのどちらかだろう。
 外国人監督が日本語映画を撮っているために、役者のせりふの完成度にあまり関心がないように思えるのも残念だった。
 一方でとても原作のイメージに近いと思ったシーンは、草原を歩く直子とワタナベのシーンだ。これはとても美しかった。が、映像的と期待された監督のセンスのよさは、少なくとも僕にはあまり響かなかった。
 まあ、仕方ないのだとは思うが、一方で、原作を一度も読んでいないひとがこの映画を見たら、まったくわけがわからないのではないか、と思える。脚本、監督とも日本人だったら、この映画はどうなるだろう。ラストの印象的なせりふさえも空虚に響いたのは、とても残念でならない。  

Posted by 仲村オルタ at 11:39
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仲村オルタ
職業:書き物一切。
職人のごとくただ書くのみ。
公式サイト alt99.net
台湾より沖縄復帰後1年で関西へ。約10年ぶりの関西復帰に再始動の予感...
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