北京にて

仲村オルタ

2010年10月29日 18:18

 カタギ仕事の出張で五日間上海と北京に出掛けた。上海は過去に三日間の週末旅行に出掛けたことがあるが、北京は初めてだ。上海でリニアモーターカーに乗るのも、中国で国内線に乗るのも初めてだ。妙な緊張感を覚える。巻き舌の北京語を耳にするたびに、なんだか違和感を感じる。
 移動日に時間があったので、僕は北京の街を歩いた。街は歩いてみなければ理解できない、というのが僕の持論だ。車窓から見える印象は本物かどうかもわからないし、すぐに消えてしまう。初めての街では、僕は出来るだけ歩くようにしている。
 北京は不思議な街だ。
 天安門や紫禁城(のあったところ)周辺の中心部は、ここがシンガポールかと思えるほど、塵ひとつ落ちていないまでにニートだ。緑も生き生きと輝いている。上海と異なり、中心部に背の高いビルはひとつもない。近代的というわけでもない。さまざまな歴史が秩序正しく混在している。一歩路地に踏み入れば、胡同と呼ばれる古い街並みがある。そこにはサンザシがあり、庶民的な路上マーケットがあり、尻のあいたズボンを履いた幼子がある。ゴミも散らばっている。時代に置き去りにされたようなたたずまいだ。一方で、カタギ仕事でセミナー会場となった街の周辺部には、近代的高層ビルが建ち並んでいる。街には台北や、上海で見掛けるような日系のコンビニエンスストアもなく、そればかりか、日本語や日本文化は意図的に排除されているように見える。それでいて、歴史的な名所の周辺には欧米的なパブやピザハウスが建ち並ぶ。一定のルールに基づき、その範囲内で限られた自由度を保ちながら発展した首都。それが北京の街だと思った。ホテルのテレビ放送ではLady GAGAのテレフォンのPVが放送されていた。



 フートンの中にあるピザハウス(その名もフートンピザ)で食事をし、人民服人民帽姿のオバマのTシャツを買い、僕はただひたすら北京の街を歩いた。とても気分がいい。台湾の鹿港あたりの古い街並みを歩いているようで、妙に懐かしくもある。地図で見ていると簡単に歩けそうな気がしていたのだが、この街は実はとてつもなく広い。結局半日で三万歩以上歩いただろう。翌日はひどい筋肉痛になるほどだった。





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