レディ・ジョーカー

仲村オルタ

2005年01月23日 23:50

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 発行部数六十四万部というベストセラー「レディ・
ジョーカー」の購入者のうち、どれほどの読者が、第
一章末にたどり着けず、本を置いてしまったことだろ
うか。 スロウ・スタートの多い髙村薫氏の作品のな
かでも、「レディ・ジョーカー」の導入部は最も読み
にくいもののひとつだと私も思う。しかし、断念した
方は、人生において数度味わうことが出来るかどうか
という至福の時を逃してしまったと断言しよう。二章、
三章と進むにつれ物語は加速し、ページを繰る指が震
えるほど面白くなる。徹底したリアリティ、展開のシャー
プさ、そして人間の欲望と弱さが剥き出しになる人物
描写と、そのすべてが素晴らしい。氏の最高傑作にと
どまらず、戦後小説のひとつの到達点だと私は思う。
 周知のとおり、この小説のモデルとなったのは、戦
後最大の未解決事件のひとつであるグリコ・森永事件
だ。物語は、グリコ・森永事件の謎に対して提示され
た仮説として読むこともできる。警察をも欺く犯人と
企業の裏取引、身代金を要求する一方で仕組まれたター
ゲット企業株の仕手戦、犯人グループに身内が含まれ
ることに気づきながら保身を優先する警察組織の闇な
どが、重層的に、かつ微塵の破綻もなく描かれている。
 しかし、この小説の魅力はそんなゲーム的な面白さ
に留まらない。ミステリーの傑作と言われるが、そも
そも謎かけや意図的な情報操作で、物語を演出する意
図はまったく感じられない。多視点描写のこの小説で
は、犯人も、刑事も、新聞記者も、ビール会社社長も、
各々の視点で、主観的にこの事件を語る。そこに浮か
び上がるのは、善と悪、陽と陰といった分かりやすい
二元論的世界ではなく、時代や社会といった得体の知
れないものの中で、翻弄され、やがて疲弊してしまう
人間存在の儚さだ。
 二年程前にサイン会で髙村薫氏にお目に掛かる機会
があった。新聞紙面では、歯に衣着せぬ物言いで社会
や権力を切ることから、カミソリのように鋭く強面の
女性を想像しがちだが、実際にお会いしてみると、小
柄で物腰柔らかい、とても穏やかな方のように思えた。
メッセージカードに「作家を目指している」と書いた
ら、世の中にごまんと居る私のような者にさえ、「そ
うですか、たいへんだと思いますが、頑張ってくださ
い」と誠実に答えて頂き、かえってこちらが恐縮する
ほどだった。氏の小説では、差別問題などデリケート
なコンテンツが頻出するが、読者に嫌悪感を与えない
のは、この誠実な人柄や姿勢が文章に体現されている
からだろう。
 小説は、テーマ、プロット、キャラクターそして文
体の四つの要素で成立すると言われる。この「レディ
・ジョーカー」はそのすべてにおいて秀逸であり、小
説を書く私にとってはマイルストーンとなった。
 ご本人にとっては迷惑なことかもしれないが、その
誠実な姿勢も含めて、私は勝手に「師匠」と仰いでい
る。
(琉球新報 2005.1.23 晴読雨読)



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